もう少し自分本位になる

病気も役立つ場合もある

「積載量5トンのトラックに10トンの荷を積み込み、全速力で走らなければいけない。そう思い込んでいたのです。実に苦しかったですね」とは、うつの患者さんから聞いた言葉です。

苦しみながらも走り続けないといけないという思い込みが、病気の根本原因だということに気づかれましたか? なぜ、10トンもの荷物を積んで走り続けなければいけないと思ってしまうのでしょうか。「それが仕事だから」「いまの社会では、そうしないと通用しないから」「責任があるじゃないか」「人に負けたくないから」

本当にそうでしょうか。それ以外に生き方の選択肢はないのでしょうか。

病気になったのは、つらさが心身のキャパシティを超えてしまったためです。いくらしなやかな木の枝でも、曲げ続けるとポキンと折れてしまいます。

病気になったいまは、それまでがんばって築きあげてきた世界がくずれ去ってしまったむなしさを感じるでしょう。社会から置いていかれる不安も大きいと思います。その気持ちはわかります。

でも、病気になったいまこそ、それまでいちばんだと思って続けてきた生き方を見直してみるチャンスなのです。うつにかぎらず、病気は生き方のゆがみや無理に気づかせてくれるサインだと私は思っています。そして、生き方を変えることは、本人にしかできません。

医師も家族も、側面援助や後方支援しかできないのです。病気、とくにうつや生活習慣病は、「自分で治す。という自覚が必要です。病気が教えてくれた生き方の間違いを率直に受け入れ、自分の努力で自分を変えていくことが大切です。

治療の主役は自分自身です。「病気になってよかったですね。自分の生き方のゆがみに気づくチャンスを与えられたのですから」。むしろ、そういってあげたいくらいです。

意欲がそがれる、モチベーションが維持できなくなる、人と会うのが嫌だといったうつの症状は、トラックがオーバーヒートしているのと同じです。いったん小休止し、じっくり考えてみましょうということなのです。ふだんの生活で、自分はなにをいちばんつらいと感じているのか。つらいと感じないようにするには、どこをどう直したらいいのかを考えるのです。

実際に、患者さんのなかには「いったい、これまでの自分の生き方はなんだったのだろうか、とつくづく思う」といい出す人がよくいます。つらいほど重かった荷物をおろすために、有給休暇をまとめて取り、海辺の温泉に滞在型の旅行をしてきた方がいます。
「旅先で見た海に沈む夕陽が本当にきれいだった。これまでは、そうしたことに目を向ける余裕もなかったんですね」といっていました。こうした気づきを得たのは心が不調になったからです。ろしい結末に陥っていたかもしれません。

自分をラクにするために

心や体に不調がある人に、理由を聞くと、だれもが「ストレスが強くて」と答えます。そこで、ストレスの正体を見きわめてみましょう。
ストレスとは、なんらかの刺激を受けて、生体に生じたゆがみのことです。人の心も外の影響でゆがんでしまうのです。ストレスは、元来は物理学用語でした。

たとえば、やわらかなポールを手で押すとくほんで妙な形になります。この現象がストレスです。このとき、外部から加わる力をストレッサーといいます。

人のストレッサーはなんでしょうか。ほぼすべての場合、仕事、そして上司や同僚、家族、友人、恋人など、自分以外の人間から加えられる刺激だといってよいでしょう。

人の目や社会の評価を気にするあまり、長い間、自分を押えつけています。その結果、疲弊期に達し、体温が低下し、神経活動が全般的に鈍くなり、動かなくなってしまった…それがうつであり、心の不調です。もっと自分本位であっていいのです。
そうでなくても、社会にはいろいろな縛りがあるのです。自分が自分の味方になって、自分を守ってあげることが大切です。私は「自分を解放することが第一ですよ」とくり返しお話しています。

人と比較しない

だれだって、自分がいちばん大事だと考えているつもりでいます。ところが実際は、自分よりも、他人の価値観に左右され、本来の自分が望んでいること、やりたいことを見失なってしまっていないでしょうか。

これでは、決して自分を大事にして生きているとはいえないのです。人は社会的な生き物です。社会と断絶し、孤立して生きていくことはできません。

だからといって、判断が社会や他人に引きずられてはいけないのです。テレビで高校生が答えるクイズ番組を見ていたら、1人が「医学部受験を考えている」といいます。理由を尋ねられると、「偏差値がいちばん高いのが医学部だから」がくぜんというのです。博然としました。

世間的な評価を自分の判断基準にしているわけです。将来を決める大事な選択を、他者との比較のなかで決めることに、なんの疑問も感じていないのです。もう少し、主体的であってほしいと思います。

偏差値をものさしにして考えるクセがつけられて、自分の進路を決めるときでさえ、人と比べてどうであるかが最初にくるのは悲しむべきことです。
私たちも、子どもをしかるとき「そんなことをすると、よその人に笑われますよ」「恥ずかしいからやめなさい」などといわないようにしたいものです。なぜなら、そういういい方は、世間の日を基準に行動しなさいと子どもに教え込むことになるからです。

人と比べる生き方は、外部からのストレッサーの刺激をずっと受け続けて、それに抵抗したり、反発する力がそがれ続けている状態といえます。その状態が、これまでの人生の長さだけ続いているのです。こんなにつらいことはありません。そんな状態で、厳しい現実のなかで生きているのです。心や体が悲鳴をあげ、病気に逃げ込もうとするのも無理はないといいたくなります。

自分が選んだ道を歩く

アメリカでは、親が子どもをしかるとき、「お前がしたことはいいことか、悪いことか」と、それが道徳的に正しいのかどうかを考えさせたうえで、「お前はどう思うのか」と、自分自身の主体的な考えを持つことをうながすことが多いようです。

あるいは、「みんなおとなしく、いい子にしているでしょ。うるさく騒ぐような悪い子はあなただけよ」ではなく、「ここでは静かにしていましょうね。ママと約束できる? 」と話し、それでも騒いだときは「あなた自身が約束したでしょう? 約束を守れないのは悪い子だ」としかるのです。1つのヒントになる話です。

いつも人と比べる世間中心の生き方をしている間は、心がほっと安らぐことは望めいただきません。高い山を日ざして必死に登っていっても、頂だと思って登った先にはさらに高い山々が遠くに見えてくるものです。

相対的価値は際限がなく、高く登れば登るほど、さらにストレスが強くなる傾向があるのです。解決策は1つしかありません。まわりと比べ、まわりより高い山に登ろうとするのではなく、自分が登りたい山に登る、という生き方に切り換えるのです。自分を主人公にした生き方をすると意識を変えていくだけでも、心の冷えはかなり改善に向かいます。

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