ゆるい生き方を自分自身で受け入れていく

まじめさは自分を追い詰めてしまう

まじめ、誠心誠意、力のかぎり、とにかくがんばる。それがよい生き方だという考え方も根強いものです。その反動として、「私は一生懸命やっている。それなのに、周囲は私を認めてくれない」と悩み、精神のバランスを失なってしまう人もいます。

そんな人への処方箋は、「いいかげんのすすめ」です。「もっと、いいかげんにすればいいんですよ」「いいかげんのクセをつけると、ずっとラクに生きられるようになりますよ。周囲との関係も好転していきます」としつこいほどに伝えます。

実際、もっといいかげんに生きるほうがいいのです。いいかげんは「良い加減」なのです。自他ともに認めるまじめな努力家で、いい人が、しだいに仕事や人生に対する意欲を失なっていき、やがて、うつに陥ってしまう例があまりにも多いのです。

そういう方は、私が「いいかげんというのはいいことですか? 」と聞くと、例外なく、「いいわけないでしょう? 私はいいかげんなんて嫌ですね⊥ と、むきになっまゆて答えるものです。眉がきっと上がり、声が震えていることさえあります。そんな、まじめな人であればあるほど、うつに陥りやすいのはなぜでしょうか?

こういう人が陥る精神的な不調は、クライマーズ・ハイと似ているのです。登山者が、ひたすら頂上を目ざして登っているうちに、興奮状態が極限に達し、ふだんなら働く危険察知能力が麻痺してしまうことがあります。それがクライマーズ・ハイです。

まじめな努力家も同じです。いつもがむしゃらに全力投球しているうちに、「これ以上はムリだよ」という心身のサインに気づかなくなってしまうのです。知らないうちに限界を超えてしまい、心がひび割れ、体が悲鳴をあげるようになるのです。

上手な手抜き

Aさんは、日本を代表する放送局の管理職をつとめる女性です。男女雇用機会均等法の時代といっても、大組織の管理職にまで昇りつめたのですから、相当の努力をしてきたことは容易に想像できます。

ところが、少し前からうつ状態が目立ってきて受診されたのです。そこで私は「いいかげんの癖をつけてみてはいかがですか? 」と話しました。しかし彼女は、どんな仕事にも全力で取り組み、手を抜くことができません。そうでない自分は情けなくて、好きになれないというのです。

「いいかげん」の提案に対しても、強く反発しました。彼女の反発が多少やわらぐのを待ってからこんなふうにお話しました。「いいかげん」という言葉はもともとは「良い加減」と書き、加えるのと減じるのがちょうどよくバランスがとれた状態を示しているのです。
いい湯かげん」「いい味かげん」などというでしょう? ところが、仕事や生き方の場合には、いつの間にか、「良い加減」というイメージがくずれてしまったのです。

仕事も「良い加減」でやることはいいことなんですよ。いかがでしょう? 」

Aさんは、なにか思い当たるところがあったらしく、「なるほど」と大きくうなずいて帰られました。それからl年ほど通院して、いまではすっかり元気を取り戻したAさんから、ある日、こんな話を聞きました。

「私は、なんでも自分で抱え込んで、絶対に不足や不備がないように緊張しっばなしだったんです。周囲への気遣いも万全のつもりでした。
それなのに、なぜか人から好かれていなかったのです。いつも紙1枚ぐらい隔てられている感じがあったんです」

私に「いいかげん」を進められ、徐々に手を抜いたり、同僚に力を貸してくれるように頼むようになり、以前の半分ぐらいの力でやるようになったところ、周囲の反応が大きく変わってきたというのです。いまでは、「前よりつき合いやすくなってきた」とよくいわれるそうです。
いいかげんは相手の気持ちもラクにさせるのです。

不足があるからやる気が起きる

いいかげんにやるようになってからのほうが周囲とうまくやっていけるようになつたのは、当然です。人間は完壁ではありません。
だれだって、いいかげんな面をもっています。だから、いいかげんな人のほうが、安心してつき合えるのです。

Aさんの場合も、いいかげんになるにつれ、まわりの人が気軽に声をかけるようになったといいます。それまでは完壁主義で、つねに大緊張で仕事に向き合っていました。ビリビリ感が伝わってしまい、なんだか怒られそうな雰囲気が漂っていたのでしょう。

でも、いまのAさんは、漂う雰囲気も気楽で、声をかけても大丈夫という感じを与えるようになったのです。「この間も、上司から「チームワークがよくなった」と褒められたそうです。

同僚との人間関係が苦手だったAさんにとっては、劇的な変化だといえるでしょう。なにより、本人が「本当にラクになった」と笑顔を見せるのです。

なぜなら、少しずつ仕事を楽しめるようになってきたからです。完壁を目ざしていたころは、仕事を楽しいと思ったことはありませんでした。いつも「これでいいのだろうか。もっと他のやり方があったのではないか」と不満や後悔ばかりが心にあったといいます。

いまでは、不備や不足があっても「まあ、今日のところはこれでいいとしよう」と割り切れるようになってきました。すると、そこから、「次はこうしよう、ああしよう」と新たな意欲が湧いてくるのを感じるのだそうです。

自分が楽だと周囲も楽

「いいかげん」と同じような言葉に「適当」があります。「仕事は適当にすればいいんですよ」と私がいうと、たいていの人は「いいかげん」のときと同様、ムっとした顔をします。

「適当」も、本来はよい意味なのです。適は「かなう」、当は「正しい、ほどよい」という意味であり、「適当」は、いちばんほどよく的確な状態を示しているのです。

いつの問にか、人や行動を形容する場合には、「信頼できない」「アテにならない」という意味が強くなってきたのは不思議です。

いいかげんな人、適当な人のほうが周囲がほっとし、心を開くのです。「ああ、この人も自分と同類なのだ」という安心感をもてるからです。上司の目、周囲の評価、仕事の厳密性、漠然とした期待値… … そんなことに心をわずらわせず、もっと「いいかげん」で「適当に」やればいいのです。そう思っただけで、肩から力が抜けませんか? あなたがラクなら周囲もラクだということに気づいてください。

すべての人間は、どこかが抜けていたり、なにかが足りなかったりするのです。それを補い合っていくのが、仕事仲間であり、家族であり、社会なのではないでしょうか。