切り替え上手のために

気分が乗らない

なんだか仕事に気が乗らないときは、仕事はやめて、身辺を片づけるようにします。ただし5分間だけです。それでも、デスク回りだけなら見違えるようにすっきりします。

それにつれて、グッチャグチャになっていた心のなかも自然に片づけられていくから不思議です。心の状態を変えるには、心を変えなければならないと思い込んでいませんか。「心身一如」です。

体を動かすと、心も動きます。こうした考え方を「フィオロジー」といい、自分の力を最大限に引き出すNLPでもよく行なわれています。

「自分をリスペクトして敬意を払うこと。これが幸せになる秘訣よ」と語るのは、世界的富豪ロスチャイルド家のナディーヌ夫人です。
工員、モデル、ダンサー、女優と数々の職業を経験して、大富豪で男爵のエドモンド・ロスチャイルドと結婚した女性です。彼女ほどの富豪ではないにしても、気分が晴れない日は最高のおしゃれをして出かけるとか、家でお茶やお酒を飲むときも来客用のいちばんいいカップやグラスを自分のために使うなど、うまく工夫をして「自分へのごほうび」を上手にとり入れることです。

新幹線のグリーン車に乗ったり、ホテルの部屋をワンランク上げたりするだけで、気分が豊かになつてきます。切り換え言葉を持つのもいいことです。「どんな仕事もいつかは終わる」知人は、パソコンの前にこう張ってあるそうです。

「明けない夜はない」という言葉からヒントを得てつくつたといいますが、こんな切り換え言葉を持っていると、自分をとことん追い詰めることはなくなるはずです。

「すみません」よりも「ありがとう」

ふっと高いところにのぼってみるひとは多いのです。これは、高所から遠くを眺めると、どんな悩みも小さなことだと思えてくるからでしょう。

地上を行き来する車や人の姿のなんと小さいことでしょうか。「自分もその1人なのだなあ」と思うと、気持ちがせいせいします。

東京のベイエリアを見渡す超高層ビルに引っ越したある会社では、社員のモチベーションが目に見えて上がったそうです。仕事中、ふと外に視線を向けると、どこまでも続く海と空。ちょっとしたイライラやムカムカは自然に消えてしまうのでしょう。

また、私ほどんな場合にも、まず、「ありがとう」といってしまうことにしています。「ありがとう」から要件を切り出したり、会話をスタートさせるのです。「ありがとうございます。今日はお運びいただいて」「ありがとう。今日も無事に仕事が終わったな」「ありがとう。ご飯、おいしかったよ」などという具合です。

「ありがとう」は心を温かにする魔法の言葉です。「ありがとう」といわれたほうも、いったほうも心が温まります。反対に、「すみません」はあまり使いません。もともとわび言葉ですから、いうたびに心は萎縮し、冷えていってしまいます。

本当にわびるときは、きちんと「申しわけありませんでした」「気がつきませんで」といったほうがいいでしょう。なんでも「すみません」で代用するのは考えものです。

がんばらない自分を認める

いい加減を練習する

完璧を目ざすのは大変だけど、「いいかげん」「適当に」生きるのは簡単だ、と思う人がほとんどです。ところが、長い間、「失敗はダメ!」「見落としがないように」と努力してきた習慣は、そう簡単には抜けません。そこで、「いいかげん」の練習をしてみましょう。

  1. お金を落とし、拾わないで立ち去る
    これは100円で練習します。毎月決まった収入で暮らしているのですから、100円といっても大事なお金です。けれど、ここで見方を変えれば、100円くらいの無駄は平気でしているものです。3個298円で買ったトマトを1 個、腐らせて捨ててしまったり、100円ショップで買ったボールペンを落としても平気だったりします。それなのに、100円玉は拾わないと気になってしまうのは、モノでなくお金だからです。そのこだわりを捨てます。100円で自分を変えることができます。
  2. ボサボサ髪、ジャージー姿で外に出る
    いいかげんな姿で、たとえば近くのコンビニやスーパーまで行ってみるのも練習の1つです。「そんなの平気さ。ふだんからよくやっているもの」という人は、気分が落ち込むことはきっとないので大丈夫です。
  3. 新聞紙をどリビリ破いて散らかす
    きれい好きの方は、破いた新聞紙を散らかして、そのまま、その新聞紙の上にふとんを敷いて、その部屋で寝るのです。
  4. 左右違う靴下や靴をはいて外出する
  5. 下着を2日間ぐらい変えない
  6. 朝食のあと歯磨きをしない
  7. テキスト

どれもばかばかしくて非常識です。それを、あえて実行してみるのです。なぜなら、だれが見ても常識にかない、社会人としてきちんと振る舞うべきだという、頭にこびりついた価値観を、はがしたいからです。

こうした練習をくり返しているうちに、どんなに非常識なことをしても、他人に迷惑をかけないかぎり、だれも笑ったり、非難しないことに気づくはずです。

世間は、思っているより、ずっと「いいかげん」で「適当」であり、幅広い許容範囲を持っているものなのです。自分が感じる「世間」の9%は、自分自身がつくりだした幻なのです。

がんばり屋さんの自分の行動を変える

うつの方は、これまで数えきれないほど自分自身に「がんばろう」「がんばらなくては」といい続けてきたはずです。でも、実は、そんなにがんばらなくていいのです。

がんばる生き方は心を冷やしてしまいます。かたくな「頑張る」のは、頑に、張りつめることです。自分を追い詰め、心を固く縮こまらせ、余裕や温もりを奪ってしまう生き方です。

心を冷やしてしまわないためには、むしろ、「がんばらない」生き方を目ざしたほうがいいのです。がんばることが評価され、がんばれない人は否定されてしまう現在の風潮は、おかしいというより、間違っています。

肩の力を抜いてのびのびと仕事や人生を楽しむほうがいいのです。楽しむことがずかしければ、つらさを感じない程度にとどめる阿畔の呼吸を覚えたいものです。

「がんばった自分にごほうび」が流行しているように、多くの人が、がんばっている自分が好きで、つい、がんばりすぎてしまうのですが、危険です。がんばり続けていると、心や体は、もうムリというサインを送ってきます。

「どうも気が向かない」「今日は集中できない」などという気持ちがそうです。そんな日には、もうがんばってはいけません。出勤途中でそんな気持ちがわいたら、そこで方向転換して、行きたいところに行ってもいいではないですか。

会社には、「適当な」口実で「休みます」と連絡を入れれば十分です。これをうまくできる人は、うつ病にはなりません。非常に厳しい時代ですが、1日や2日の突然休暇でクビになることはありません。あったとしたら、すでにクビのリストに入っていたのです。
それよりも無理をしてがんばり続け、うつになってしまったら、もともこもないと思います。

いいわがままのすすめ

本来の意味とは異なった意味で言葉が使われている典型例のもう1つが、「わがまま」です。うつ傾向がある人は、「わがまま」に生きていません。
「わがままに生きる」ことは、いまの社会では否定されています。子どものころから、「わがままは許しません」といわれてきた人も少なくないでしょう。

「わがまま」は「我が儘」と書きます。自分があるがままに、自分らしく、というのが本来の意味なのです。人は「わがまま」に生きられたら最高なのです。

つねに自分を抑え、まわりを優先し、まわりに合わせ、自分が突出することがないたがままようにブレーキをかけ続けるのは、いわば「他儘」であり、心が冷え固まってしまうのは当然です。「わがまま」で、自発的、創造的、個性的な生き方を目ざしていきましょう。制約はあるでしょうが、そう目ざしていれば、心はやわらかさ、温かさを保っていられるものです。

ゆるい生き方を自分自身で受け入れていく

まじめさは自分を追い詰めてしまう

まじめ、誠心誠意、力のかぎり、とにかくがんばる。それがよい生き方だという考え方も根強いものです。その反動として、「私は一生懸命やっている。それなのに、周囲は私を認めてくれない」と悩み、精神のバランスを失なってしまう人もいます。

そんな人への処方箋は、「いいかげんのすすめ」です。「もっと、いいかげんにすればいいんですよ」「いいかげんのクセをつけると、ずっとラクに生きられるようになりますよ。周囲との関係も好転していきます」としつこいほどに伝えます。

実際、もっといいかげんに生きるほうがいいのです。いいかげんは「良い加減」なのです。自他ともに認めるまじめな努力家で、いい人が、しだいに仕事や人生に対する意欲を失なっていき、やがて、うつに陥ってしまう例があまりにも多いのです。

そういう方は、私が「いいかげんというのはいいことですか? 」と聞くと、例外なく、「いいわけないでしょう? 私はいいかげんなんて嫌ですね⊥ と、むきになっまゆて答えるものです。眉がきっと上がり、声が震えていることさえあります。そんな、まじめな人であればあるほど、うつに陥りやすいのはなぜでしょうか?

こういう人が陥る精神的な不調は、クライマーズ・ハイと似ているのです。登山者が、ひたすら頂上を目ざして登っているうちに、興奮状態が極限に達し、ふだんなら働く危険察知能力が麻痺してしまうことがあります。それがクライマーズ・ハイです。

まじめな努力家も同じです。いつもがむしゃらに全力投球しているうちに、「これ以上はムリだよ」という心身のサインに気づかなくなってしまうのです。知らないうちに限界を超えてしまい、心がひび割れ、体が悲鳴をあげるようになるのです。

上手な手抜き

Aさんは、日本を代表する放送局の管理職をつとめる女性です。男女雇用機会均等法の時代といっても、大組織の管理職にまで昇りつめたのですから、相当の努力をしてきたことは容易に想像できます。

ところが、少し前からうつ状態が目立ってきて受診されたのです。そこで私は「いいかげんの癖をつけてみてはいかがですか? 」と話しました。しかし彼女は、どんな仕事にも全力で取り組み、手を抜くことができません。そうでない自分は情けなくて、好きになれないというのです。

「いいかげん」の提案に対しても、強く反発しました。彼女の反発が多少やわらぐのを待ってからこんなふうにお話しました。「いいかげん」という言葉はもともとは「良い加減」と書き、加えるのと減じるのがちょうどよくバランスがとれた状態を示しているのです。
いい湯かげん」「いい味かげん」などというでしょう? ところが、仕事や生き方の場合には、いつの間にか、「良い加減」というイメージがくずれてしまったのです。

仕事も「良い加減」でやることはいいことなんですよ。いかがでしょう? 」

Aさんは、なにか思い当たるところがあったらしく、「なるほど」と大きくうなずいて帰られました。それからl年ほど通院して、いまではすっかり元気を取り戻したAさんから、ある日、こんな話を聞きました。

「私は、なんでも自分で抱え込んで、絶対に不足や不備がないように緊張しっばなしだったんです。周囲への気遣いも万全のつもりでした。
それなのに、なぜか人から好かれていなかったのです。いつも紙1枚ぐらい隔てられている感じがあったんです」

私に「いいかげん」を進められ、徐々に手を抜いたり、同僚に力を貸してくれるように頼むようになり、以前の半分ぐらいの力でやるようになったところ、周囲の反応が大きく変わってきたというのです。いまでは、「前よりつき合いやすくなってきた」とよくいわれるそうです。
いいかげんは相手の気持ちもラクにさせるのです。

不足があるからやる気が起きる

いいかげんにやるようになってからのほうが周囲とうまくやっていけるようになつたのは、当然です。人間は完壁ではありません。
だれだって、いいかげんな面をもっています。だから、いいかげんな人のほうが、安心してつき合えるのです。

Aさんの場合も、いいかげんになるにつれ、まわりの人が気軽に声をかけるようになったといいます。それまでは完壁主義で、つねに大緊張で仕事に向き合っていました。ビリビリ感が伝わってしまい、なんだか怒られそうな雰囲気が漂っていたのでしょう。

でも、いまのAさんは、漂う雰囲気も気楽で、声をかけても大丈夫という感じを与えるようになったのです。「この間も、上司から「チームワークがよくなった」と褒められたそうです。

同僚との人間関係が苦手だったAさんにとっては、劇的な変化だといえるでしょう。なにより、本人が「本当にラクになった」と笑顔を見せるのです。

なぜなら、少しずつ仕事を楽しめるようになってきたからです。完壁を目ざしていたころは、仕事を楽しいと思ったことはありませんでした。いつも「これでいいのだろうか。もっと他のやり方があったのではないか」と不満や後悔ばかりが心にあったといいます。

いまでは、不備や不足があっても「まあ、今日のところはこれでいいとしよう」と割り切れるようになってきました。すると、そこから、「次はこうしよう、ああしよう」と新たな意欲が湧いてくるのを感じるのだそうです。

自分が楽だと周囲も楽

「いいかげん」と同じような言葉に「適当」があります。「仕事は適当にすればいいんですよ」と私がいうと、たいていの人は「いいかげん」のときと同様、ムっとした顔をします。

「適当」も、本来はよい意味なのです。適は「かなう」、当は「正しい、ほどよい」という意味であり、「適当」は、いちばんほどよく的確な状態を示しているのです。

いつの問にか、人や行動を形容する場合には、「信頼できない」「アテにならない」という意味が強くなってきたのは不思議です。

いいかげんな人、適当な人のほうが周囲がほっとし、心を開くのです。「ああ、この人も自分と同類なのだ」という安心感をもてるからです。上司の目、周囲の評価、仕事の厳密性、漠然とした期待値… … そんなことに心をわずらわせず、もっと「いいかげん」で「適当に」やればいいのです。そう思っただけで、肩から力が抜けませんか? あなたがラクなら周囲もラクだということに気づいてください。

すべての人間は、どこかが抜けていたり、なにかが足りなかったりするのです。それを補い合っていくのが、仕事仲間であり、家族であり、社会なのではないでしょうか。

心の縛りをゆるめる方法

「畳をなめる」ことで起きる変化

「畳をなめてごらんなさい」と言われたらどうでしょうか。あなたは畳をなめられますか?畳をなめる意味には、人は、いかに外から植えつけられた思いに縛られているか、それを取り外すことの大変さと簡単さを身をもって知ってもらうよいきっかけになります。

いい大人に「畳をなめてごらんなさい」というのですから、だれもがキョトンとします。誰もが、畳をなめるなんて考えたこともないでしょう。
そんなことにどんな意味があるのだろうと思っていませんか。実は、「畳をなめるなんて考えられない」「意味がない」という思い込みこそ、自分が外部からの考え方に支配されていることを物語っているのです。

赤ん坊のころを思い描いてみましょう。親の目を盗んで、畳をペロペロなめていたはずです。それどころか、テーブルの緑、泥だらけのボール、犬がかじっていた玩具など、なんでもわけもわからず、なめまくつていたはずです。

それが原因で病気になることなどめったにありませんでした。それなのに、より抵抗力がついたおとなになると、かえって畳をなめることができなくなるのです。なぜでしょうか?

それは、畳をなめるたびに、まわりのおとなから、「畳なんかなめちゃダメ。汚いのよ」といわれ続けてきたためです。そのため、成長するにしたがって、いけないものだという考えが刷り込まれてしまったのです。

つまり、おとなになって畳をなめるという行動は、長年にわたって自分を縛ってきた刷り込みや価値観を打ち破ることの象徴なのです。

拘束感がぱらりとほどけた

当然ですが、理屈はわかるが、わからない…という人がほとんどでしょう。そこで、実例から説明しましょう。Aさんは不眠症に悩まされ、夫婦関係も不和になり、離婚話までもちあがっていました。このとき、睡眠薬などを飲んでもらいました。

話を聞くと、それだけでは、Aさんのかたくなにこり固まった心と状況は、改善しそうにない状況でした。このとき、「畳をなめてごらんなさい」とすすめてみました「とんでもない。そんなことできません」と、Aさんは大きく首を横に振って帰って行きました。

それから1ヶ月、2ヶ月と顔を合わすたび「畳をなめられましたか? 」「いえ、どうしてもその気になれません」「なめようとしてみるんですが、やっぱりダメです」という会話がくり返されました。

そこで、ある日、「それでは、クリニックにあるこのテーブルではどうですか」と方針を変えてるとどうでしょう。少しハードルを下げたわけです。ところがAさんは、やはりテーブルをなめることができません。

ほかの人の目があることももちろん影響していると思います。「それじゃあ、治りませんね」と、少し強めに言うと、次に来たときは、「今日は、テーブルをなめる覚悟を決めてきました」というではありませんか。でも、手には消毒用のアルコールルをもっています。
それではダメと、その日はそのまま帰っていただきました。そして、次の来院時に、ついにテーブルをなめたのです。消毒なしです。
なめることができました。それからはAさんに、驚くほどの変化が生じてきました。かつてない明るい表情になって、態度がのびのびとしてきたのです。
茶目つ気も出てきました。大のおとなが、こうも変わるかという激変です。それまでAさんをがんじがらめにしていた拘束感がパラリとほどけたのです。

その後、Aさんのうつ症状は快方に向かいました。いまでは睡眠薬なしで眠れるま籾でに回復しています。離婚話も様子見ということになっているということです。

夫婦の関係

夫婦3点セットとは

結婚している人で心の不調を抱えている場合、原因は夫婦関係にあることが少なくありません。とくに女性の場合はその傾向が顕著です。夫婦関係が原因になっているうつは、「夫婦3点セット」を実行してみましょう。
夫婦3点セットとは、次の3つを行なうことをいいます。

  1. 外を歩くときは夫婦で腕を組む
  2. テレビを見るときは、夫婦で手をつないで見る
  3. 出勤・帰宅時、玄関で相手の首に抱きつく

「もう数ヶ月も口もきいていない。離婚するほかはない」という場合でも、勇気を出して自分を励まし、この3つのことを実行してみてください。
3つとも、スキンシップを通して、夫婦がともに、子どもの自分、つまり本音の自分を出し合う練習なのです。単純なようですが、人間関係では、スキンシップは重要な意味を持っているものなのです。

母子の関係を思い出してください。絶対的に好きな人だったお母さんでさえ、「大好きよ」と100 回いってもらうより、1回ぎゅっと息が詰まるぐらい抱きしめてもらったときのほうが、強い愛情を感じたのではなかったでしょうか。

1つ屋根の下に住んでいながら、夫婦がちゃんと向かいあう時間はほとんどない家庭が増えています。そんな月日を重ねていけば、気がついたときには、夫婦という名の他人になってしまっていて当然です。
その夫婦の人間関係の修復を進めるのが、このスキンシップなのです。夫婦が仲のよい仲間の関係になれば、家庭も変わります。

ふれあいの実感

夫婦3点セットに、「そんなことはできません」と、強い拒否反応を示す人が少なくありません。そういう人にこそ、ぜひ、実行してほしいのです。
ずっと冷たい関係が続いている場合は、あらかじめ、夫婦3点セットの意味や目的を説明しておくとよいでしょう。

はじめは抵抗があるかもしれませんが、慣れてくると、相手の手の温もりは心も温めてくれるものだと実感するようになります。すぐそばに、いつでもふれ合える手があることは、本当にすばらしいことなのです。

3点セットと同時に、「○○ちゃん」などと、お互いを愛称で呼び合う練習も採り入れるようにしてください。「夫の顔を見るのもイヤ。離婚したい」という冷たい関係が、夫婦3点セットによって、たったひと晩で改善したケースがあります。ある人は、夫婦3点セットをおすすめしても、「無理です」とくり返すばかりでした。ついに私が「それでは、うつは治らないかもしれませんよ」と少し強くいうと、しばらく黙って、「じやあ…やってみます」といって、帰っていきました。

ご主人の携帯にメールを入れておいたそうです。「先生に、今晩、あなたが帰ってきたら、玄関で抱きつけといわれてしまったので、仕方がないのでそうします」ところが、こんなメールを受け取り、面食らってしまったご主人は、ふだん以上に帰宅の足が重くなってしまったのです。「ちょっと飲んで帰ろう」が1軒ではすまず、2軒、3軒と寄っているうちに、自宅に帰りついたのは午前3時を回っていました。

その間、「あんなメールを入れたので、帰ってこないかもしれない」という緊張と不安のなかで、ひたすら待ち続けていたのです。鍵を開ける音がしたとき、不安と緊張の極致にいたFさんは、見えない力に押し出されるように玄関に行き、気がついたら、ごく自然に、ご主人の首に固く抱きついていたそうです。まったく予想もしていなかったことが起こったのは、次の瞬間です。抱きついたとたん、涙がどっとあふれ、止まらなくなってしまったのです。

涙はご主人の心にもしみていき、ご主人の手は自然に奥さんの背中に回っていたといいます。それから、2人は家の中でも、出かけるときでも手をつなぐようにしたそうです。しだいに会話も増えていき、いつの間にか離婚話は立ち消えになっていました。

さらに、夫婦関係がよくなるにつれて、うつがよくなったのは当然として、会社や近所づき合いなど、他の人間関係のギクシャクも好転したといいます。
夫婦関係がうまくいかなくなったのは、自分の心が閉ざされていたからです。それが解消されれば、他の人間関係もうまくいき始めます。

親と子どもは「温め仲間」になりなさい

日本の家族関係は、家族それぞれが自分をどう位置づけていいのかわからなくなっているようです。父親を中心にした関係は薄れ、最近は父親の存在感は薄れる一方です。
妻は妻で自立願望がありながら、どこかに夫に依存して生きるラクさが身にしみていて、自己矛盾を起こしています。その結果、子どもは絶対的に信頼できるものをなって不安に陥っているのです。

目ざすべき新しい家族関係は、ひとりひとりが自立しつつ、お互いを認め合い、受け入れ合う関係でしょう。一種の仲間のように心を許し合うには、みんなが「子どもの自分」を丸出しにしても安心なのだという認識を共有することです。

ぬいぐるみ療法

ふわふわパワー

よくおすすめするもう1つの方法が「ぬいぐるみ療法」です。好きなぬいぐるみに、1日に何回も話しかけたり、だっこして一緒に寝たりします。
他愛なく、場合によっては「ええ? 」と感じる方法かもしれません。ところが、これも続けていると明らかに自分が変わってくるのです。

これは、行動によって心に働きかけ、心を変えていく行動療法の1つです。心をおおっている固いから殻を、ぬいぐるみを用いることで、破りやすくするのです。その変化がまわりの人にも伝わり、心の不調は目に見えてよくなっていきます。

まず、お気に入りのぬいぐるみを1一つ、手に入れてください。心からかわいいと思うものを選びましょう。少し大きめの、抱き心地のよいものがいいでしょう。
そして、短く、シンプルな名前をつけます。たとえば「モモ」とか「クマちゃん」とかです。このぬいぐるみを、いつも目に入るところに置いておき、1日に何十回も呼びかけます。ベッドで一緒に寝たり、しょっちゅう抱っこするのもいいでしょう。

こういうアドバイスをしていると、途中で「そんな気持ち悪い話を聞くためにわざわざ足を運んできたんじゃないんです。もっと有意義な話をしてください」とにらむ方もいるくらいです。でも、とにかく、実践してみてください。不思議なくらい気持ちが安らぎ、ほっと安心できます。

ぬいぐるみに話しかけたり、一緒に寝たりすることを通して、「自分のいいたいことを率直に口に出す」「自分の意思を態度に示す」といったことを、無意識的に練習しているわけです。

また、いいおとながぬいぐるみを抱っこしたり、おんぶすることには、おとなはこんなことはしないものだという世間知をぶち壊す目的も含まれています。
ペットでもいいのですが、ここまでの効果は期待できません。ペットには命があり、意志があり、感情があり、それなりの反応があるからです。自分の心の声を吸い取ってくれる存在にはならないのです。
うつ傾向の方のなかには、ペットの世話が負担になる場合もあります。だから、ぬいぐるみがいちばん、というわけなのです。

自分の本年がわからなくなってしまっている人は

子どもの自分とおとなの自分

「自分がしたいように、伸びやかに振る舞ったほうがいい」とアドバイスすると、「自分が本当はどうしたいのか、よくわからない」という答えが返ってきてしまうことが多々あります。

自分の本音がわからないのは、長いこと、自分自身の本当の声を押しっぶしてきたからです。まず、自分自身を解き放つことから始める必要があります。
自分が本当はどうしたいのかわからない人は、自分のなかの「子どもの自分」と、「おとなの自分」が協調できなくなってしまっていると考えられます。その人の個性や感受性、考え方などを総合したものを「人格」と呼びます。

人格は、多層構造をしていて、核に「本音の自分」があり、それを「表層の自分」が包んでいます。表層の自分とは、成長していく段階で社会の秩序や規律、価値観を身につけ、周囲の社会や他の人に合わせていく自分です。

つまり、本音の自分を「子どもの自分」と呼び、表層の自分を「おとなの自分」と表現できるでしょう。「子どもの自分」は、その人の欲求、感情をむき出しにし、好き嫌いや甘えもそのまま、発揮している状態です。

「おとなの自分」は、子どもの自分を包み込み、だれからも非難されず、世間からはみ出さないように判断や行動をしている自分です。

精神的に健康でバランスのとれた人間になるには、「子どもの自分」と、「おとなの自分」が伸よく、協調している状態になることが大切です。

自分を抑える自分

うつになったり、気分障害に悩まされたりしている人は、「子どもの自分」が必要以上に押さえ込まれていたり、「おとなの自分」が「子どもの自分」をうまくコントロールできないでいる人です。

たとえば、公共の場でバカ騒ぎしたり、周囲を不快にさせるような人は、「子どもの自分」がはみ出してしまっています。逆に、いい人すぎてハメをはずせない人は、「おとなの自分」が強すぎて、「子どもの自分」が息も絶え絶えになっています。

うつ症状に悩む人の中には、「なぜ、この人がうつなのだろうか? 」と思えるほど、ニコニコと笑顔が絶えない人もいます。しかし、その笑顔は要注意です。
それは、「人と接するときは必ず笑顔で」と刷り込まれた結果、腹が立っていようが、苦しかろうが、泣き出したかろうが、笑顔になってしまっているからです。

「おとなの自分」が「子どもの自分」を完全に押え込んでいる。こんな状態を長く続けていれば、精神がバランスをくずすのは当然です。
うつになりやすい人は、なによりもまず、「子どもの自分」の息を吹き返らせ、伸びやかに解き放ち、そのうえで、「おとなの自分」との調和を図るようにします。

自分のことは大好きですか?

幼いころ、怖いことや不安なことに出合うと、お母さんのところに飛んで帰り、お母さんが「大丈夫よ」といってくれると、それだけですっかり安心していました。
そんなイメージで、自分に「大丈夫」と話しかけましょう。自分の姓ではなく名前を、あるいは、自分の幼いころからの愛称で、自分に話しかけます。

「大丈夫!大丈夫!」と話しかけます。「なにが大丈夫なんだろう」と思う人もいるかもしれません。理由などいりません。とにかく、「大丈夫!大丈夫!」と、実際に声に出して語りかけるのです。

次は、自分が自分をいつも大好きで、応援していることを伝えます。心の奥底から気持ちを込め「大丈夫!」という練習をくり返します。これについては、初は冷やかな人もいます。「バカバカしい」といわんばかりの人もいます。

でも、とにかく、「大丈夫!大丈夫!」とくり返し、いうのです。5分間に1回くらい、ひたすら「自分のことが大好き」をくり返します。
生活のなかで、いつも思い出していうことが大切です。最初は気恥ずかしさがあるかもしれません。でも、くり返しているうちに慣れてきて、心の奥に火が灯ったような温かさを感じるようになってきます。

自分が大好きとくり返すのは、自分の本音を取り戻すための具体的な方法の1つです。専門的にいえば、自分を見る目が間違っていたという「認知のゆがみ」に気づくための行動です。
声に出していうのは、言葉の力を利用したいからです。恥ずかしいからと、頭の中でをくり返しても、効果はかなり薄くなります。

うつの方はまじめで、「1 日に100回いうようにということでしたが、昨日は9回しかいえませんでした。大丈夫でしょうか」と、律儀に数えている人もいます。でも、いうまでもなく、1日100回は目安。もっとアバウトにかまえ、できるだけ頻繁に自分に「だ大好き」と声をかければいいのです。とにかく、実行しなければ始まりません。さっそく、自分のことを「大好き」といってみましょう。

子供の自分にあやまる

「もうわけがわからないんです。自分がなんなのか? なんのために生きているのか。それを考えるのさえつらい」と、ほとんど泣きながらいっている方がいました。

そのとき私がおすすめしたのは、「子どもの自分」に、「いままで押えつけていてごめんね」とあやまる方法でした。そういう人は、子どもの自分の存在を無視し、抑圧し、子どもの自分の存在すら認識できません。本音の自分、つまり子どもの自分が「なにが好きなのか」「なにをしたいのか」すらわからなくなっているのです。

だから、自分に対して「大好き」ということができないのです。それほど、自分の本音を押し殺して生きてきたのです。ですから、そのことを、まず自分自身に心からあやまることから始めましょう。

うつ傾向かどうかを見分けるポイントの1つに「別にい」症候群があります。「なにを食べる?」と尋ねられて「別にい」、「あの映画おもしろかった?」と開かれて「別にい」。相手をバカにしているわけではなく、本当に「どうでもいい」と放り出してしまっている症状です。

それはそれで、苦しいものです。こうした人にも、無視してきた「子どもの自分」に率直にあやまることをおすすめしています。と何度も何度も、声に出して謝ります。異常な光景だと思いますか?そうではありません。縮こまって震えていた「子どもの自分」が、ちらりとこちらを見てくれて、にっこり笑ってくれたとイメージしてみてください。ジワッと温かいものが体の奥に広がっていくような感じがしてきませんか?
そういう感覚を感じられるようになるまで、「無視してきて、ごめんね」と毎日 謝ることを続けてみてください。

うつの方の心のなかには、自分自身に対する憎しみ、うらみ、自己卑下など、自分に対する屈折した思いが、ごつたになってたまっていて、それは、あたかも火山の奥底のマグマのようにどろどろしています。

そんな自分に対して屈折している状態のところに、いきなり「大好き」と声をかけても、うまく伝わっていかないのです。だから、まず、それだけいじめてきた本音の自分に謝るのです。
そして、謝るときも、「ダアアアイ好き」というときも、頭からいい聞かせるようないい方や、「謝ってやっている」という上から目線ではなく、そばに座ってあげて、本音の自分の寂しさやつらさを、心からわかってあげる気持ちで、「寂しかったね。ごめんね」といってあげるのです。
自作自演でなんの効果があるのだろうと思う人もあるかもしれません。実は、自作自演だからこそ、効果があるのです。自分が完全に自分自身を受け入れ、自己受容のできる自分になるのが目的だからです。完全な自己受容があって初めて、精神的な自立ができるのです。

自分を変える

人間関係イコール自分関係

気分が滅入ってしまう理由のほとんどは、人間関係です。うつは、まきわりの人との軋轢から逃げだしたい一心で、自分のなかに自分を封じ込めている状態だともいえるのです。
意外なことに、解決の鍵は他人との関係ではなく、自分との関係を見直すことに潜んでいます。人間関係は、自分が自分をどう見ているかを、そのまま反映しています。

人間関係を温かいものにしたいなら、まず、自分を見つめる目を温かくすることです。大らかに他人を受け入れられる人は、自分も大らかに受け入れているものです。他人との関係性がうまい人は、自分との関係性がうまい人なのです。

イライラしていると、他人のなんでもない言動までとがめだてしたくなります。石ころにつまずいて転んだら、「ここに石があるのが悪い」と、石のせいにしたくなります。

逆に、うれしいことがあって心が浮き立っていれば、たとえ足を踏まれても、「足を出した自分が不注意だったかも」とおおらかに考えることができます。

ですから、人との関係がぎくしゃくするのは、自分に問題があるからなのです。つまり、うつの方は例外なく「自分はダメな人間だ」「こんな自分が情けない」「もう少しましな人間に生まれたかった」などと自分に否定的な感じを持っているのです。

「自分のことが好きですか? 」と尋ねると、「そんなわけがない」という反応で、なかには、「自分なんて嫌い。大嫌いだ」と怒り声になる人もあるくらいです。

そこで、まず、自分へのまなざし、つまり自分に対する価値観を変える必要があります。そこを変えなければ、なにも変わっていきません。あなたを変えることができるのは自分自身だけです。他人が変えることはできません○たとえ親子でも、親ができるのは、「こういう点がよくないのだから、直すように努力してほしい」「いまが大事なときなのだから、全力投球すべきだ」などといい聞かせることぐらいです。本人がそれを理解し、自分自身で行動を変えなければ、なにも変わらないのです。

人間関係を好転したいのなら、相手を変えようと努力するより、自分が変わる王道に向かうことです。

自分に温かい日を向ける

多くのの人は、自分に点数をつけてもらうと、「30点ぐらい」といいます。よくて60点です。なぜ、「自分は100点」といい切らないのでしょう。

仕事や学業の成績のように、だれかと比べるわけではないのです、自分自身に対する自己評価は満点をつけてもいいのではないでしょうか。私は、うつの方には、自分をとことんほめるクセをつけることをおすすめしています。ほめるポイントは、当たり前のこと、どうでもいいところをほめることです。「朝ちゃんと起きている」「ご飯を上手に食べている」「新聞をちゃんと読んでいる」「迷わず駅まで歩いている」といった、いまやっている一挙手二投足をほめちぎるのです。

ロボット工学の進化は目覚ましいものがありますが、これだけのことをできるロボット開発には、莫大な資金と相当な時間がかかるでしょう。
開発されたとしても、膨大な制御装置を必要とするはずです。人間のようなサイズに収めることは困難です。

自分は、それらを難なくやってのける能力を持っているのです。そんな自分がなぜ30 点なのでしょう。スムーズな二足歩行ができるというだけでも100点満点をあげ、大いにほめる価値があります。

「以前の自分はもっと仕事ができた。最近は気力が弱って力を発揮できない。そんな自分が受け入れられない」という悩みもよく聞きます。まじめで責任感の強い人ほど、努力すること、仕事ができることを評価し、力が落ちた状態の自分を非難するのです。田でも、自分が弱っているなら、なぜ、よけいにやさしく温かく見てあげないのでしようか。がんばれた自分と、がんばれなくなっている自分。前者は評価し、後者は卑下する。二者を峻別するのは、会社や社会の価値観そのままです。会社や社会は、個人とはまったく別の価値観で動いているものです。
だからこそ、自分が自分を見るときは、そうした価値観を離れ、自分に温かい視線を注いであげましょう。

自分の存在を否定しない

大事なことは、いちばん苦しく、みじめな最悪の自分を包み込み、ごく当たり前のことができるだけでも大いにほめる姿勢です。たとえば、子どもがなにかいたずらをして、お母さんにしかられたとします。このとき、子どもは、しかられることで二つのメッセージを受け取ることになります。「あなたのしたことは悪いことだから、もうしてはいけない」という行為への注意と、「あなたはダメな子」という存在の否定です。これは、自分が仕事で失敗して上司に叱責される場合を考えてみると、よくわかります。

たとえば部長にきつく叱責され、「君のようなスタッフがいると、チーム全体が足めんばを引っ張られることになるんだ⊥ と罵倒されたとしましょう。
あなたは、「もうこの部長は、自分のことをダメな部下だと思ったに違いない」と感じて意気消沈するに違いありません。しかし、課長から「あのあと部長がいっていたよ。期待しているから、あんなにきつく叱責したんだ、とね」と聞くと、とたんに安心してうれしくなるでしょう。

これを自分に置き換えてみると、どうでしょうか。失敗したり、みじめな自分を嫌うことは、自分の行為ばかりか、存在をも否定することになってしまうのではないでしょうか。どんな自分も自分です。それなのに、いいときの自分は受け入れ、失敗したときの自分は受け入れないのは、おかしいと思いませんか。どんなときも、自分を100% 受け入れることです。修正が必要なときも、いったん受け入れたうえで、そこから修正を始めましょう。

そうすれば、自分をとことん追い込んでしまうことはありません。自分を受け入れる方法の1つが、「自分ほめ日記」をつけることです。どんな日も、日記にまず、「今日もよくやった」と書くのです。うまくいった日は「われながらよくやった」と書き、失敗した日は「失敗をあの程度でくい止めたなんて、われながらよくやった」と書きます。毎日、「よくやった」の連続です。こうした積み重ねにより、つねに自分を絶対肯定する力をつけていくのです。

もう少し自分本位になる

病気も役立つ場合もある

「積載量5トンのトラックに10トンの荷を積み込み、全速力で走らなければいけない。そう思い込んでいたのです。実に苦しかったですね」とは、うつの患者さんから聞いた言葉です。

苦しみながらも走り続けないといけないという思い込みが、病気の根本原因だということに気づかれましたか? なぜ、10トンもの荷物を積んで走り続けなければいけないと思ってしまうのでしょうか。「それが仕事だから」「いまの社会では、そうしないと通用しないから」「責任があるじゃないか」「人に負けたくないから」

本当にそうでしょうか。それ以外に生き方の選択肢はないのでしょうか。

病気になったのは、つらさが心身のキャパシティを超えてしまったためです。いくらしなやかな木の枝でも、曲げ続けるとポキンと折れてしまいます。

病気になったいまは、それまでがんばって築きあげてきた世界がくずれ去ってしまったむなしさを感じるでしょう。社会から置いていかれる不安も大きいと思います。その気持ちはわかります。

でも、病気になったいまこそ、それまでいちばんだと思って続けてきた生き方を見直してみるチャンスなのです。うつにかぎらず、病気は生き方のゆがみや無理に気づかせてくれるサインだと私は思っています。そして、生き方を変えることは、本人にしかできません。

医師も家族も、側面援助や後方支援しかできないのです。病気、とくにうつや生活習慣病は、「自分で治す。という自覚が必要です。病気が教えてくれた生き方の間違いを率直に受け入れ、自分の努力で自分を変えていくことが大切です。

治療の主役は自分自身です。「病気になってよかったですね。自分の生き方のゆがみに気づくチャンスを与えられたのですから」。むしろ、そういってあげたいくらいです。

意欲がそがれる、モチベーションが維持できなくなる、人と会うのが嫌だといったうつの症状は、トラックがオーバーヒートしているのと同じです。いったん小休止し、じっくり考えてみましょうということなのです。ふだんの生活で、自分はなにをいちばんつらいと感じているのか。つらいと感じないようにするには、どこをどう直したらいいのかを考えるのです。

実際に、患者さんのなかには「いったい、これまでの自分の生き方はなんだったのだろうか、とつくづく思う」といい出す人がよくいます。つらいほど重かった荷物をおろすために、有給休暇をまとめて取り、海辺の温泉に滞在型の旅行をしてきた方がいます。
「旅先で見た海に沈む夕陽が本当にきれいだった。これまでは、そうしたことに目を向ける余裕もなかったんですね」といっていました。こうした気づきを得たのは心が不調になったからです。ろしい結末に陥っていたかもしれません。

自分をラクにするために

心や体に不調がある人に、理由を聞くと、だれもが「ストレスが強くて」と答えます。そこで、ストレスの正体を見きわめてみましょう。
ストレスとは、なんらかの刺激を受けて、生体に生じたゆがみのことです。人の心も外の影響でゆがんでしまうのです。ストレスは、元来は物理学用語でした。

たとえば、やわらかなポールを手で押すとくほんで妙な形になります。この現象がストレスです。このとき、外部から加わる力をストレッサーといいます。

人のストレッサーはなんでしょうか。ほぼすべての場合、仕事、そして上司や同僚、家族、友人、恋人など、自分以外の人間から加えられる刺激だといってよいでしょう。

人の目や社会の評価を気にするあまり、長い間、自分を押えつけています。その結果、疲弊期に達し、体温が低下し、神経活動が全般的に鈍くなり、動かなくなってしまった…それがうつであり、心の不調です。もっと自分本位であっていいのです。
そうでなくても、社会にはいろいろな縛りがあるのです。自分が自分の味方になって、自分を守ってあげることが大切です。私は「自分を解放することが第一ですよ」とくり返しお話しています。

人と比較しない

だれだって、自分がいちばん大事だと考えているつもりでいます。ところが実際は、自分よりも、他人の価値観に左右され、本来の自分が望んでいること、やりたいことを見失なってしまっていないでしょうか。

これでは、決して自分を大事にして生きているとはいえないのです。人は社会的な生き物です。社会と断絶し、孤立して生きていくことはできません。

だからといって、判断が社会や他人に引きずられてはいけないのです。テレビで高校生が答えるクイズ番組を見ていたら、1人が「医学部受験を考えている」といいます。理由を尋ねられると、「偏差値がいちばん高いのが医学部だから」がくぜんというのです。博然としました。

世間的な評価を自分の判断基準にしているわけです。将来を決める大事な選択を、他者との比較のなかで決めることに、なんの疑問も感じていないのです。もう少し、主体的であってほしいと思います。

偏差値をものさしにして考えるクセがつけられて、自分の進路を決めるときでさえ、人と比べてどうであるかが最初にくるのは悲しむべきことです。
私たちも、子どもをしかるとき「そんなことをすると、よその人に笑われますよ」「恥ずかしいからやめなさい」などといわないようにしたいものです。なぜなら、そういういい方は、世間の日を基準に行動しなさいと子どもに教え込むことになるからです。

人と比べる生き方は、外部からのストレッサーの刺激をずっと受け続けて、それに抵抗したり、反発する力がそがれ続けている状態といえます。その状態が、これまでの人生の長さだけ続いているのです。こんなにつらいことはありません。そんな状態で、厳しい現実のなかで生きているのです。心や体が悲鳴をあげ、病気に逃げ込もうとするのも無理はないといいたくなります。

自分が選んだ道を歩く

アメリカでは、親が子どもをしかるとき、「お前がしたことはいいことか、悪いことか」と、それが道徳的に正しいのかどうかを考えさせたうえで、「お前はどう思うのか」と、自分自身の主体的な考えを持つことをうながすことが多いようです。

あるいは、「みんなおとなしく、いい子にしているでしょ。うるさく騒ぐような悪い子はあなただけよ」ではなく、「ここでは静かにしていましょうね。ママと約束できる? 」と話し、それでも騒いだときは「あなた自身が約束したでしょう? 約束を守れないのは悪い子だ」としかるのです。1つのヒントになる話です。

いつも人と比べる世間中心の生き方をしている間は、心がほっと安らぐことは望めいただきません。高い山を日ざして必死に登っていっても、頂だと思って登った先にはさらに高い山々が遠くに見えてくるものです。

相対的価値は際限がなく、高く登れば登るほど、さらにストレスが強くなる傾向があるのです。解決策は1つしかありません。まわりと比べ、まわりより高い山に登ろうとするのではなく、自分が登りたい山に登る、という生き方に切り換えるのです。自分を主人公にした生き方をすると意識を変えていくだけでも、心の冷えはかなり改善に向かいます。

冷えを遠ざけるためのポジティプ思考

価値の善悪をオセロゲームと考える

この世のすべては、「オセロゲーム」と同じだと考えてみたらどうでしょうか。白ひっくり返せば、一瞬にして黒になり、その黒も、白と白ではさんでしまえば、再び白になるこれが世間なのです。
そして、自分の心でもあります。世間も心もオセロゲームだと考えましょう。それは「絶対だ」という思い込みをなくしてくれます。

自分を相対化することができ、冷え切った心に温風を吹き込む大きな効果があります。もともとストレスは「ものごとをマイナスに受け取る」ことで起こるものです。マイナスに受け取るかどうかは、本人が決めているのです。

つまり、ほとんどの場合、ストレスは自分で生み出しているわけです。プラス思考とマイナス思考も同じです。どんなことでも、プラスの視点で見れば、よいできごとに見え、心を温めますが、マイマスの視点で見れば、つらく苦しいできごとに見え、心が冷え冷えとしてきてしまいます。

よい方向から見れば、それまで自分を苦しめていた欠点も反転して、長所に見えてきます。マイナス思考にこり固まり、なんでもネガティブに受け取っていた人が、考え方を変えるだけでプラス思考になり、なんでもポジティプに受け取るようになれるのです。

弱みで自分を見ないコツ

まず試しに、自分の嫌なところや欠点を書き出してみましょう。たとえば、こんなところがありませんか。

  1. NOが言えない
  2. せっかち
  3. 臆病
  4. 悲観的・暗い
  5. 社交性がない
  6. 嫉妬深い
  7. 自己中心的
  8. だらしがない
  9. あわてもの・おっちょこちょい
  10. お調子者・八方美人
  11. おしゃべりで口が軽い
  12. 融通がきかず頑固
  13. 何をやってもつまらない

そしてこの13項目に反対するのは

  1. 寛容
  2. 発展的
  3. 慎重
  4. 落ちている・浮ついてない
  5. 自分をしっかり持っている・付和雷同しない
  6. 自分が好きで向上心がある
  7. 自分を大事にできる
  8. 細かいことを気にしない
  9. 思いつめない。気楽な性格
  10. 好かれやすい。つき合いが広い
  11. 明朗快活
  12. まじめで意志が強い
  13. 理想が高い

上と下では、同じ性格・特徴の表現を変えただけです。あらゆる性格・特徴も、両面をもっているということです。

あるマナー講習会では「人を見たら、長所を10個探す習慣をつけなさい」と教えています。これは、さっそく採り入れてみるといいでしょう。
この習慣が身につけば、どんな人ともよい関係をつくつていけるようになります。自己評価のオセロゲームが身についてくると、他人を見る時も、自然にオセロゲーム発想になれるのです。長所と短所は表と裏。どっちの面から見るかという問題です。

よいところを探す視線で見れば、どんな人でも、よいところが目につくでしょう。よいところが多いと思うと、つき合いはよい雰囲気でスタートします。
ものごとは連環していくので、人間関係はどんどんよい方向に進んでいきます。夫婦げんかのたびに「自分は妥協的すぎる。いつでも自分が謝ってしまう。そんな自分が情けない」と悩んでいたある男性に、「自分はそれだけ心が大きいのです。

相手を受け入れることができる寛容な人間なのだ、と考えてみてはいかがですか」とお話したことがあります。そして、この自己評価のオセロゲームをご紹介したところ、すっかり乗り気になり、それからはなんでも見方を変えてみることに熱中したそうです。

その結果、この方は、どんなこともプラス面からとらえる習慣が身につき、いまでは「自分のことを好きですか?」とお尋ねすると、「まあ、嫌いになってもしょうがないし… 」と照れながら、自分を好きだといい切るまでになっています。こうなれば、もう、押し潰されるほどのストレスは感じなくなっているはずです。