うつ病の体への影響(身体面)

うつ病は精神面ばかりではなく、体にも症状があらわれます。
このため、はじめはうつ病ではないと思われてしまうケースがあるので、注意が必要です。

症状は複数箇所にあらわれるのが一般的

うつ病では、精神面ばかりではなく、さまざまな体の症状を伴うことはよく知られています。痛みやだるさをはじめ、不眠、肩こり、食欲不振、下痢、便秘など、その身体症状は多様です。まず、その代表的な症状です。

  • 不眠(睡眠障害)睡眠障害の分類はこちら。
  • 体がだるい
  • 疲れがとれない
  • 食欲がない
  • 吐きけがする
  • 体重が減った
  • 腹痛や下痢が続く、反対に便秘が続く
  • 胃のあたりが気持ち悪い
  • 頭が重い、頭痛がする
  • 口が渇く

早朝に目が覚めてしまう

うつ病の人に顕著にあらわれるのが不眠です。睡眠障害というのは大別すると、眠りたいのに眠れないという「不眠」と、ちゃんと寝ているのに昼でも眠くなってしまう「過眠」とがあります。

うつ病では不眠が圧倒的に多いといわれます。不眠といっても、いくつかのタイプがあります。うつ病の人は不眠に悩まされることが多いのですが、中でも「早朝覚醒」が特徴的です。

午前3時とか4時という、かなり早い時間に日が覚めてしまいます。目が覚めるとともに、憂うつな気分や不安感にとらわれてしまいますので、すっきりと目覚めるというのとはほど遠く、再び眠ろうとしてもどうしても眠れないのです。熟睡しているわけではないので、疲労感も残り、起きようという気力も出てきません。

身体面の症状

  • 睡眠障害
  • 消化器症状(食思不振、体重減少、便通異常、ガス症状、吐き気、嘔吐、咽喉部・食道の異常、腹痛、胃部不快感、味覚異常、げっぷ、腹部膨満感)
  • その他の自律神経症状(過呼吸症症候群、ため息、呼吸困難、圧迫感、腹部苦悶感、心悸亢進、腹部不快感、頻脈、胸部圧迫感、狭心症様発作、頻尿、残尿感、口渇、発汗、寝汗、めまい、頭重)
  • 体重減少(エネルギー喪失感、いつも疲れている、各種疼痛、頭痛、胸部・腹部・背部痛、四肢の痛み、筋肉痛)
  • 性欲減退
食欲も落ちて体重が減る

うつ病は、消化器系の器官にも影響して、不調をもたらします。

まず、食欲に大きく影響します。食欲がなくなるというのも、うつ病の症状としてよくみられるものです。食べる量や回数が減り、それに伴って体重も減少していきます。家族が食欲を出させようと思って作った、本人が大好きな食べ物を前にしても、あまり喜びません。

気分がよくないところに、口が渇いてしまう症状も出てきますので、本人は少しもおいしいとは感じないのです。また、便秘になったり、反対に下痢をしたりします。
うつ病では、どちらかというと便秘がちになることのほうが多いといわれています。このほか吐きけがしたり、嘔吐することもあります。おなかが張ったような感じ、いわゆる腹部の膨満感があったり、胃がもたれる、むかつく、気持ちが悪いという症状もみられます。

痛みやだるさも

体が疲れやすくなり、疲労感がたまる、あるいはだるくてしかたがないという症状が続くのも、うつ病の特徴です。
うつ病であれば、少しばかりの休息ではこの疲労感はなかなかとれません。

体のあちこちに痛みを感じやすくもなります。頭が重い、頭痛がする、おなかが痛いというものから、腰痛、胸痛、関節痛、筋肉痛、また背中が痛いというようなものまで、痛みを感じる場所は体全体にわたっています。
痛み以外でも、手足のしびれやふるえ、肩こりなどの症状もあらわれます。このほか、動悸や息切れを訴える人もいます。

体の症状は多様

このように、うつ痛によって体にあらわれる症状も実にさまざまです。もちろん、うつ病だからといって、これらの症状がすべてあらわれるわけではありません。

人によって個人差があって、そのあらわれ方や程度もいろいろです。注意しなければならないのは、これらの症状はほかの病気によって起こることもあるということです。

消化器系の症状もありますし、呼吸器系、循環器系、泌尿器系などの自律神経系のものもあります。そして、言うまでもなく、それぞれにいろいろな病気があるわけです。したがって、こうした症状があるからといって、すぐにこれはうつ病だと診断できる人はまずいません。

むしろ、はじめは何か体の病気ではないかとか、胃が痛いから胃潰瘍ではないかということで内科を受診するのがふつうだと思います。まさかうつ病のような心の病気だとは思わないのが、一般の人の受け止め方だと思います。しかし、いくら検査を受けても何も問題が見つからず、どうしても原因がわからないというような場合には、うつ病ではないかと疑ってみる必要があります。

よく体の病気ばかりが気になり、その不調の陰になってうつ病が見えにくくなっていることがあります。これを、「仮面うつ病」と呼ぶことがあります。

うつ病の人の気持ち(精神面)

大切な人がうつ病になったときに心から寄り添いたいと強く思っても本人の気持ちがしっかり理解できなければ難しいものです。うつ病の人の精神面における気持ちについてです。本人はもとより、家族が患者をケアする面でも大切な情報です。

うつ病の「うつ」とは

うつ病の人の気持ちをひと言で言うと、「気分が非常に落ち込んでしまって、仕事はもとより、遊びや気分転換など、あらゆることに興味や意欲がわかなくなってしまう」状態です。

ここでは、うつ病の人の心や気分、考え方などにあらわれる症状について、くわしくみてみましょう。
まず、うつ病の「うつ」という言葉から、この病気がもたらす気分について考えてみます。「うつ病」は、漢字で書くと「鬱病」です。「鬱」という漢字はむずかしいばかりでなく、文字自体がかなり重苦しい感じがします。その意味も、漢和辞典などによると「こんもり茂るさま」「気がふさぐ」となっていて、その文字から受けるイメージそのものです。

つまり「草木が生い茂って、自分のまわりがふさがれてしまい、身動きがとれなくなってしまったように、気分が晴れない状態」ということになります。

用語としては「鬱々とする」「鬱屈する」などがあり、熟語では「憂鬱」などもあって、気が晴れない、気がめいるというような、うつ病の人の気分にかなり近い意味合いがあります。

うつ病の精神面の典型的な症状は、憂うつな気分が続く、気分が晴れない、落ち込むといった状態です。このような状よく態を「うつ状態」とか「抑うつ感」と呼ぶこともあります。「メランコリー」という言葉も同様に憂うつとか気がふさぐという意味でよく使われます。これらの状態がうつ病の主要な症状であることはまちがいではありませんが、こうしたうつ状態がみられれば、すぐにうつ病と診断されるかというと、ことはそんなに簡単ではありません。

うつ状態なら、うつ病か?

単なるうつ状態なら、何か失敗をしたり、親しい人との別離などで、だれでもが経験していることです。しかし、そうした「うつ的な」気分になっても、普通は一時的なもので、まわりの人に慰めてもらったり、時間がたつことによって、しだいに消えていきます。

また、何かが心にひつかかって憂うつになったような場合には、その原因となっている問題が解決されたり、とり除かれれば、自然と気が晴れていくものです。

つまり、うつ状態という正体は、まさに状態そのものを示しています。ですから、うつ状態イコールうつ病ではありません。

そうはいっても、うつ病なのか、単なるうつ状態なのか。その見きわめは非常にむずかしいものです。うつ病の診断のところでもふれますが、うつ状態の人がうつ病かどうかを知るひとつの目安としては、そうした気分が続く期間の長さと、程度の強さです。

うつ病の人の場合は、その気分がいつまでも回復しません。そのまま放置していると、何年も続くことさえあります。しかも、その憂うつな気分の程度がかなり強く、生活に支障をきたすようになっているなら、うつ病の疑いがあるということになるでしょう。

また、一方でうつ状態になる病気はうつ病ばかりではありませんので、さらに診断はむずかしいものになります。
たとえば、よく知られるように、統合失調症や神経症などのような心の病気も、うつ状態になります。また体の病気や薬物の影響によっても、うつ状態があらわれます。

このようにうつ状態といっても、時間が解決してくれる単なる一時的なうつ状態のほかに、心や体の病気や薬の影響によるうつ状態など、たいへん幅広くみられますので、うつ状態になつたからうつ病だと思うのは早計で、慎重に判断することが求められます。

憂うつな気分の継続

精神面の症状にはどのようなものがあるでしょうか。憂うつな気分ばかりでなく、精神面ではさまざまなあらわれ方をしますので、「感情面(情)」「意欲面(意)」「思考面(知)」の3つの側面に分けてみていきます。

感情面
  • いつまでも憂うつな気分が続く、気分が晴れない、落ち込む
  • 不安な気持ちが長く続き、いつまでもおさまらない
  • つらい
  • 悲しい
  • 何をやっていても楽しくない
  • 四六時中いらいらする
  • 怒りっぽくなる

うつ病では、この感情面に強く症状があらわれるといわれています。これまでみてきたうつ状態や憂うつな気分は、この感情面に入ります。
感情面では、抑うつ気分が中心症状です。憂うつな気分が頭全体をおおってしまうので、楽しいとかうれしい、あるいはおいしいというような感情が、あらゆる場面でなくなってしまいます。何かに追いつめられているような気分になって、いらいらしたり、怒りっぽくもなります。
抑うつ気分とともに、うつ病ではしばしば「不安」が伴うことがあります。この不安も、日常的な場面でだれもがよく感じるものです。その意味ではごく自然な感情ということができます。しかし、こうした自然な不安にくらべて、うつ病や神経症では不安を感じすぎることで、行動や体にも影響が出てきます。

意欲面
  • 何もやりたくない
  • 何かをやろうとしても、億劫に感じてしまう
  • やる気が起きない
  • 何をやってもつまらない
  • 仕事や勉強など、ものごとに集中できない
  • 人と会うのが億劫になる
  • 性欲が減退する

意欲が低下して、行動力や決断力が鈍くなります。何をやってもおもしろいと感じません。これまでは大好きで楽しんでいた趣味でさえ、興味がなくなってきて、どうでもよくなってしまいます。
ふだんからおしゃれには気をつかっていたのに、服装にまったく無頓着になったりします。あたりまえのようにしていた入浴や洗面、着がえなどもめんどうになります。
無理にそれをしようとすると、これまでにかかった時間の何倍もかかってしまいます。集中力もなくなりますから、ぼんやりすることが多くなり、考えが少しも前に進まなくなります。このため、仕事では能率が落ち、ペースも遅くなり、ミスも目立ってきます。勉強にも、身が入らなくなります。

思考面
  • ものごとを悪いほうへ悪いほうへと考えてしまい、いわゆるマイナス思考に陥る
  • 最悪のことばかりを考える
  • 考え方に柔軟性がなくなり、ひとつの考えにとらわれがちになる
  • すべて自分が悪く、みんなに迷惑をかけて申しわけないと思ってしまう
  • ささいな、つまらない考えにとらわれてしまう
  • ちょっとした体の不調を、何か重大な病気だと思い込み、くよくよする
  • 過去にこだわり、「もはやとり返しがつかない」と思い込み、悔やんだり悩んだりしてばかりいる
  • 死について考える、死にたいと思う

ぅっ病の人の考え方やその内容の特徴はこのようなものです。特に、いわゆるマイナス思考といわれる、ものごとを悪いほうへ悪いほうへと考えてしまうのが大きな特徴といえます。
マイナス思考をする人は、自分自身への評価も低く、「自分はだめな人間だ」「弱い人間だ」と思い込みます。その結果、仕事や人間関係で何か問題が起こったときには、「原因は、すべて自分に責任がある」と考えます。
「自分のせいで、みんなに迷惑をかけてしまった」「自分のほうに問題があったのだ」というように、自分を責めます。このような考え方になるのも、うつ病の人の特徴といわれています。そのため、必要以上に過去を悔やみ、もう自分の将来はないとまで思いつめていくのです。また、
マイナス思考には、「取り越し苦労」をするということもあります。将来のことは、だれでも悪く考え出したらきりがないものですが、この先はきっと悪いことばかりが起こると、くよくよと思い悩みます。高齢者であれば、「年金だけで暮らしていけるのだろうか」とか、「一人暮らしなのに、病気になつたらどぅしょゝヱなどと考え、どんどん悲観的な要素ばかりが気になり、そして落ち込んでしまいます。

しかも、考え方に柔軟性がなくなり、ひとつのことにとらわれてしまいます。まわりの人からみれば、「もっと別な考え方や視点に立って、柔軟に考えればいいのに」と思うのですが、本人にはどうしても自分のとらわれた考え方を変えることができません。

こうしたことから、悪循環を繰り返して、そこから抜け出すことができなくなってしまいます。また、ふだんであれば気にもならないようなささいなことにも悩みます。ものごとの重要性や軽重がわからなくなってしまうのです。

したがって、まず何から手をつけたらよいか、何がいちばん大事かというときに、その優先順位をつけることもできなくなってしまいます。

追いつめられた気分に

よく、うつ病の人は心身ともにかなりエネルギーが低下している状態であるといわれます。エネルギーが低下しているため、疲れやすくなり、何をするにもおっくうになってしまいます。また、マイナス思考を繰り返していますから、あらゆることに対して悲観的になります。

憂うつな気分や不安にさいなまれ、気力もわかず、あとから説明するように体調もすぐれません。何も楽しむことができず、仕事や勉強もうまくいかないとなれば、しだいに精神的に追いつめられていきます。

意欲が低下しているので、頭ではなんとかがんばろうと思っているのですが、気持ちがついていきません。そのもどかしさからいらいらしたり、あせったりするようにもなります。

こうしたことから、あと先も考えずに短絡的な行動をとってしまうこともあります。
たとえば、家族に何も言わずに、自分が勤めている会社に辞表を出したり、学校に退学届を提出してしまったりします。「意欲面」のところで、決断が鈍くなると説明しましたが、その一方で、うつ病の人はこのように、突然、辞表を出してしまうような、大きな決断をしてしまうこともあるのです。

このような行動は一見矛盾しているようですが、いろいろと考えるのがおっくうになつているうえに、考え方に柔軟性がなくなっていますので、やめるかやめないかという二者択一のほうが、かえつて「決める」という点では簡単なのです。こうしたことから、早まった決断につながるのだと思われます。

うつ病の人に病識はあるか

ここで、治療にあたって重要となる、自分が病気であることを自覚しているか、いわゆる「病識」があるのかどうかについてもふれておきます。うつ病が重いケースでは、病識はほとんどないといわれています。そのため、病院に連れていこうとしても、がんとして言うことを聞きません。

ただし、うつ病の人の多くは、「どうも何か変だ」と違和感を感じたり、どこか具合が悪いのではないかと感じる、つまり「病感」はあるといわれています。しかし、その病感が病識に結びついているかどうかについては、なかなかわかりにくいところがあります。医師にうつ病であると診断され、説明を受けて頭ではわかっていても、それをどうしても認めない人もいます。そうなると、治療に大きく影響することにもなりかねません。

妄想をいだくことも

かつては、妄想や幻覚は、統合失調症に特有な症状で、うつ病では妄想はないとされていました。しかし、最近では妄想もうつ病の症状のひとつと考えられるようになっています。

妄想というのは、現実にはないにもかかわらず、本人は本当にあると思い込んでいるため、医師や家族などがそれを訂正しようとしても訂正できないものをいいます。

妄想は、うつ病が重くなったときとか、高齢者の患者によくみられるといわれます。うつ病でよくみられる妄想には、次のようなものがあります。

まわりから意地悪をされているというような「被害妄想」。財産や地位をなくしてしまったという「貧困妄想」。自分は罪深い人間だと思う「罪業妄想」。
さらには、自分は重い病気にかかっているとか、自分の内臓が腐っているなどと考しんきえてしまう「心気妄想」などがあります。

死を考えることも

うつ病でいちばん心配なことは、自殺を考えたり、実際に実行してしまう人がいるということです。ふと自殺を考えるといった程度のこともありますし、その考えにとらわれて頭から離れなくなってしまうこともあります。

これまでみてきたような精神面の症状が相まって、うつ病患者はかなり追いつめられた気持ちになっています。
「つらい」という気持ちを、多くの患者は「死ぬほどつらい」と表現します。ところが残念ながら、「死ぬほど」と表現するだけにとどまらず、実際に自殺を選んでしまう人がいるのです。

マイナス思考を繰り返していくうちに、生きていくことさえいやになってしまいます。「仕事もうまくいかないし、体調も最悪だ。もう生きていてもしょうがない」と考えてしまう。

そのうちに、「死にたい」「私は生きている価値がない人間だ」というようなことを周囲の人に漏らすようになります。「自分はだめな人間だ」という思いつめた気持ちが、「死ぬよりほかはない」という考えに変わってしまうのです。

もちろん、患者さんの気持ちの中では「死のうか」「いや、死ぬのはやめよう」という間で揺れ動くのですが、残念なことに「死ぬしかない」という結論に達してしまうこともあるのです。
うつ病では自分の気持ちをコントロールすることがむずかしくなっていますので、ふだんならやらないような思い切ったことをしてしまう可能性があります。

言うまでもなく、うつ病の人すべてが死を考えるわけではないのですが、医師をはじめ周囲の人が最も注意しなければならないことは、この自殺を防ぐということなのです。

なお、うつ病の人がなぜ死ぬことを考えるのかということについては、その原因なり理由は、残念ながらまだはっきりとは解明されていません。
この自殺に関連して、特に注意しなければならない事実として、最近は中高年の自殺が増加しているということがあります。その背景のひとつには、うつ病があるといわれています。そのうちでも、長時間労働などが原因となって精神障害を起こし、自殺をしてしまう、いわゆる過労自殺が増加していることが指摘され、大きな社会問題となっています。

切り替え上手のために

気分が乗らない

なんだか仕事に気が乗らないときは、仕事はやめて、身辺を片づけるようにします。ただし5分間だけです。それでも、デスク回りだけなら見違えるようにすっきりします。

それにつれて、グッチャグチャになっていた心のなかも自然に片づけられていくから不思議です。心の状態を変えるには、心を変えなければならないと思い込んでいませんか。「心身一如」です。

体を動かすと、心も動きます。こうした考え方を「フィオロジー」といい、自分の力を最大限に引き出すNLPでもよく行なわれています。

「自分をリスペクトして敬意を払うこと。これが幸せになる秘訣よ」と語るのは、世界的富豪ロスチャイルド家のナディーヌ夫人です。
工員、モデル、ダンサー、女優と数々の職業を経験して、大富豪で男爵のエドモンド・ロスチャイルドと結婚した女性です。彼女ほどの富豪ではないにしても、気分が晴れない日は最高のおしゃれをして出かけるとか、家でお茶やお酒を飲むときも来客用のいちばんいいカップやグラスを自分のために使うなど、うまく工夫をして「自分へのごほうび」を上手にとり入れることです。

新幹線のグリーン車に乗ったり、ホテルの部屋をワンランク上げたりするだけで、気分が豊かになつてきます。切り換え言葉を持つのもいいことです。「どんな仕事もいつかは終わる」知人は、パソコンの前にこう張ってあるそうです。

「明けない夜はない」という言葉からヒントを得てつくつたといいますが、こんな切り換え言葉を持っていると、自分をとことん追い詰めることはなくなるはずです。

「すみません」よりも「ありがとう」

ふっと高いところにのぼってみるひとは多いのです。これは、高所から遠くを眺めると、どんな悩みも小さなことだと思えてくるからでしょう。

地上を行き来する車や人の姿のなんと小さいことでしょうか。「自分もその1人なのだなあ」と思うと、気持ちがせいせいします。

東京のベイエリアを見渡す超高層ビルに引っ越したある会社では、社員のモチベーションが目に見えて上がったそうです。仕事中、ふと外に視線を向けると、どこまでも続く海と空。ちょっとしたイライラやムカムカは自然に消えてしまうのでしょう。

また、私ほどんな場合にも、まず、「ありがとう」といってしまうことにしています。「ありがとう」から要件を切り出したり、会話をスタートさせるのです。「ありがとうございます。今日はお運びいただいて」「ありがとう。今日も無事に仕事が終わったな」「ありがとう。ご飯、おいしかったよ」などという具合です。

「ありがとう」は心を温かにする魔法の言葉です。「ありがとう」といわれたほうも、いったほうも心が温まります。反対に、「すみません」はあまり使いません。もともとわび言葉ですから、いうたびに心は萎縮し、冷えていってしまいます。

本当にわびるときは、きちんと「申しわけありませんでした」「気がつきませんで」といったほうがいいでしょう。なんでも「すみません」で代用するのは考えものです。

がんばらない自分を認める

いい加減を練習する

完璧を目ざすのは大変だけど、「いいかげん」「適当に」生きるのは簡単だ、と思う人がほとんどです。ところが、長い間、「失敗はダメ!」「見落としがないように」と努力してきた習慣は、そう簡単には抜けません。そこで、「いいかげん」の練習をしてみましょう。

  1. お金を落とし、拾わないで立ち去る
    これは100円で練習します。毎月決まった収入で暮らしているのですから、100円といっても大事なお金です。けれど、ここで見方を変えれば、100円くらいの無駄は平気でしているものです。3個298円で買ったトマトを1 個、腐らせて捨ててしまったり、100円ショップで買ったボールペンを落としても平気だったりします。それなのに、100円玉は拾わないと気になってしまうのは、モノでなくお金だからです。そのこだわりを捨てます。100円で自分を変えることができます。
  2. ボサボサ髪、ジャージー姿で外に出る
    いいかげんな姿で、たとえば近くのコンビニやスーパーまで行ってみるのも練習の1つです。「そんなの平気さ。ふだんからよくやっているもの」という人は、気分が落ち込むことはきっとないので大丈夫です。
  3. 新聞紙をどリビリ破いて散らかす
    きれい好きの方は、破いた新聞紙を散らかして、そのまま、その新聞紙の上にふとんを敷いて、その部屋で寝るのです。
  4. 左右違う靴下や靴をはいて外出する
  5. 下着を2日間ぐらい変えない
  6. 朝食のあと歯磨きをしない
  7. テキスト

どれもばかばかしくて非常識です。それを、あえて実行してみるのです。なぜなら、だれが見ても常識にかない、社会人としてきちんと振る舞うべきだという、頭にこびりついた価値観を、はがしたいからです。

こうした練習をくり返しているうちに、どんなに非常識なことをしても、他人に迷惑をかけないかぎり、だれも笑ったり、非難しないことに気づくはずです。

世間は、思っているより、ずっと「いいかげん」で「適当」であり、幅広い許容範囲を持っているものなのです。自分が感じる「世間」の9%は、自分自身がつくりだした幻なのです。

がんばり屋さんの自分の行動を変える

うつの方は、これまで数えきれないほど自分自身に「がんばろう」「がんばらなくては」といい続けてきたはずです。でも、実は、そんなにがんばらなくていいのです。

がんばる生き方は心を冷やしてしまいます。かたくな「頑張る」のは、頑に、張りつめることです。自分を追い詰め、心を固く縮こまらせ、余裕や温もりを奪ってしまう生き方です。

心を冷やしてしまわないためには、むしろ、「がんばらない」生き方を目ざしたほうがいいのです。がんばることが評価され、がんばれない人は否定されてしまう現在の風潮は、おかしいというより、間違っています。

肩の力を抜いてのびのびと仕事や人生を楽しむほうがいいのです。楽しむことがずかしければ、つらさを感じない程度にとどめる阿畔の呼吸を覚えたいものです。

「がんばった自分にごほうび」が流行しているように、多くの人が、がんばっている自分が好きで、つい、がんばりすぎてしまうのですが、危険です。がんばり続けていると、心や体は、もうムリというサインを送ってきます。

「どうも気が向かない」「今日は集中できない」などという気持ちがそうです。そんな日には、もうがんばってはいけません。出勤途中でそんな気持ちがわいたら、そこで方向転換して、行きたいところに行ってもいいではないですか。

会社には、「適当な」口実で「休みます」と連絡を入れれば十分です。これをうまくできる人は、うつ病にはなりません。非常に厳しい時代ですが、1日や2日の突然休暇でクビになることはありません。あったとしたら、すでにクビのリストに入っていたのです。
それよりも無理をしてがんばり続け、うつになってしまったら、もともこもないと思います。

いいわがままのすすめ

本来の意味とは異なった意味で言葉が使われている典型例のもう1つが、「わがまま」です。うつ傾向がある人は、「わがまま」に生きていません。
「わがままに生きる」ことは、いまの社会では否定されています。子どものころから、「わがままは許しません」といわれてきた人も少なくないでしょう。

「わがまま」は「我が儘」と書きます。自分があるがままに、自分らしく、というのが本来の意味なのです。人は「わがまま」に生きられたら最高なのです。

つねに自分を抑え、まわりを優先し、まわりに合わせ、自分が突出することがないたがままようにブレーキをかけ続けるのは、いわば「他儘」であり、心が冷え固まってしまうのは当然です。「わがまま」で、自発的、創造的、個性的な生き方を目ざしていきましょう。制約はあるでしょうが、そう目ざしていれば、心はやわらかさ、温かさを保っていられるものです。

ゆるい生き方を自分自身で受け入れていく

まじめさは自分を追い詰めてしまう

まじめ、誠心誠意、力のかぎり、とにかくがんばる。それがよい生き方だという考え方も根強いものです。その反動として、「私は一生懸命やっている。それなのに、周囲は私を認めてくれない」と悩み、精神のバランスを失なってしまう人もいます。

そんな人への処方箋は、「いいかげんのすすめ」です。「もっと、いいかげんにすればいいんですよ」「いいかげんのクセをつけると、ずっとラクに生きられるようになりますよ。周囲との関係も好転していきます」としつこいほどに伝えます。

実際、もっといいかげんに生きるほうがいいのです。いいかげんは「良い加減」なのです。自他ともに認めるまじめな努力家で、いい人が、しだいに仕事や人生に対する意欲を失なっていき、やがて、うつに陥ってしまう例があまりにも多いのです。

そういう方は、私が「いいかげんというのはいいことですか? 」と聞くと、例外なく、「いいわけないでしょう? 私はいいかげんなんて嫌ですね⊥ と、むきになっまゆて答えるものです。眉がきっと上がり、声が震えていることさえあります。そんな、まじめな人であればあるほど、うつに陥りやすいのはなぜでしょうか?

こういう人が陥る精神的な不調は、クライマーズ・ハイと似ているのです。登山者が、ひたすら頂上を目ざして登っているうちに、興奮状態が極限に達し、ふだんなら働く危険察知能力が麻痺してしまうことがあります。それがクライマーズ・ハイです。

まじめな努力家も同じです。いつもがむしゃらに全力投球しているうちに、「これ以上はムリだよ」という心身のサインに気づかなくなってしまうのです。知らないうちに限界を超えてしまい、心がひび割れ、体が悲鳴をあげるようになるのです。

上手な手抜き

Aさんは、日本を代表する放送局の管理職をつとめる女性です。男女雇用機会均等法の時代といっても、大組織の管理職にまで昇りつめたのですから、相当の努力をしてきたことは容易に想像できます。

ところが、少し前からうつ状態が目立ってきて受診されたのです。そこで私は「いいかげんの癖をつけてみてはいかがですか? 」と話しました。しかし彼女は、どんな仕事にも全力で取り組み、手を抜くことができません。そうでない自分は情けなくて、好きになれないというのです。

「いいかげん」の提案に対しても、強く反発しました。彼女の反発が多少やわらぐのを待ってからこんなふうにお話しました。「いいかげん」という言葉はもともとは「良い加減」と書き、加えるのと減じるのがちょうどよくバランスがとれた状態を示しているのです。
いい湯かげん」「いい味かげん」などというでしょう? ところが、仕事や生き方の場合には、いつの間にか、「良い加減」というイメージがくずれてしまったのです。

仕事も「良い加減」でやることはいいことなんですよ。いかがでしょう? 」

Aさんは、なにか思い当たるところがあったらしく、「なるほど」と大きくうなずいて帰られました。それからl年ほど通院して、いまではすっかり元気を取り戻したAさんから、ある日、こんな話を聞きました。

「私は、なんでも自分で抱え込んで、絶対に不足や不備がないように緊張しっばなしだったんです。周囲への気遣いも万全のつもりでした。
それなのに、なぜか人から好かれていなかったのです。いつも紙1枚ぐらい隔てられている感じがあったんです」

私に「いいかげん」を進められ、徐々に手を抜いたり、同僚に力を貸してくれるように頼むようになり、以前の半分ぐらいの力でやるようになったところ、周囲の反応が大きく変わってきたというのです。いまでは、「前よりつき合いやすくなってきた」とよくいわれるそうです。
いいかげんは相手の気持ちもラクにさせるのです。

不足があるからやる気が起きる

いいかげんにやるようになってからのほうが周囲とうまくやっていけるようになつたのは、当然です。人間は完壁ではありません。
だれだって、いいかげんな面をもっています。だから、いいかげんな人のほうが、安心してつき合えるのです。

Aさんの場合も、いいかげんになるにつれ、まわりの人が気軽に声をかけるようになったといいます。それまでは完壁主義で、つねに大緊張で仕事に向き合っていました。ビリビリ感が伝わってしまい、なんだか怒られそうな雰囲気が漂っていたのでしょう。

でも、いまのAさんは、漂う雰囲気も気楽で、声をかけても大丈夫という感じを与えるようになったのです。「この間も、上司から「チームワークがよくなった」と褒められたそうです。

同僚との人間関係が苦手だったAさんにとっては、劇的な変化だといえるでしょう。なにより、本人が「本当にラクになった」と笑顔を見せるのです。

なぜなら、少しずつ仕事を楽しめるようになってきたからです。完壁を目ざしていたころは、仕事を楽しいと思ったことはありませんでした。いつも「これでいいのだろうか。もっと他のやり方があったのではないか」と不満や後悔ばかりが心にあったといいます。

いまでは、不備や不足があっても「まあ、今日のところはこれでいいとしよう」と割り切れるようになってきました。すると、そこから、「次はこうしよう、ああしよう」と新たな意欲が湧いてくるのを感じるのだそうです。

自分が楽だと周囲も楽

「いいかげん」と同じような言葉に「適当」があります。「仕事は適当にすればいいんですよ」と私がいうと、たいていの人は「いいかげん」のときと同様、ムっとした顔をします。

「適当」も、本来はよい意味なのです。適は「かなう」、当は「正しい、ほどよい」という意味であり、「適当」は、いちばんほどよく的確な状態を示しているのです。

いつの問にか、人や行動を形容する場合には、「信頼できない」「アテにならない」という意味が強くなってきたのは不思議です。

いいかげんな人、適当な人のほうが周囲がほっとし、心を開くのです。「ああ、この人も自分と同類なのだ」という安心感をもてるからです。上司の目、周囲の評価、仕事の厳密性、漠然とした期待値… … そんなことに心をわずらわせず、もっと「いいかげん」で「適当に」やればいいのです。そう思っただけで、肩から力が抜けませんか? あなたがラクなら周囲もラクだということに気づいてください。

すべての人間は、どこかが抜けていたり、なにかが足りなかったりするのです。それを補い合っていくのが、仕事仲間であり、家族であり、社会なのではないでしょうか。

心の縛りをゆるめる方法

「畳をなめる」ことで起きる変化

「畳をなめてごらんなさい」と言われたらどうでしょうか。あなたは畳をなめられますか?畳をなめる意味には、人は、いかに外から植えつけられた思いに縛られているか、それを取り外すことの大変さと簡単さを身をもって知ってもらうよいきっかけになります。

いい大人に「畳をなめてごらんなさい」というのですから、だれもがキョトンとします。誰もが、畳をなめるなんて考えたこともないでしょう。
そんなことにどんな意味があるのだろうと思っていませんか。実は、「畳をなめるなんて考えられない」「意味がない」という思い込みこそ、自分が外部からの考え方に支配されていることを物語っているのです。

赤ん坊のころを思い描いてみましょう。親の目を盗んで、畳をペロペロなめていたはずです。それどころか、テーブルの緑、泥だらけのボール、犬がかじっていた玩具など、なんでもわけもわからず、なめまくつていたはずです。

それが原因で病気になることなどめったにありませんでした。それなのに、より抵抗力がついたおとなになると、かえって畳をなめることができなくなるのです。なぜでしょうか?

それは、畳をなめるたびに、まわりのおとなから、「畳なんかなめちゃダメ。汚いのよ」といわれ続けてきたためです。そのため、成長するにしたがって、いけないものだという考えが刷り込まれてしまったのです。

つまり、おとなになって畳をなめるという行動は、長年にわたって自分を縛ってきた刷り込みや価値観を打ち破ることの象徴なのです。

拘束感がぱらりとほどけた

当然ですが、理屈はわかるが、わからない…という人がほとんどでしょう。そこで、実例から説明しましょう。Aさんは不眠症に悩まされ、夫婦関係も不和になり、離婚話までもちあがっていました。このとき、睡眠薬などを飲んでもらいました。

話を聞くと、それだけでは、Aさんのかたくなにこり固まった心と状況は、改善しそうにない状況でした。このとき、「畳をなめてごらんなさい」とすすめてみました「とんでもない。そんなことできません」と、Aさんは大きく首を横に振って帰って行きました。

それから1ヶ月、2ヶ月と顔を合わすたび「畳をなめられましたか? 」「いえ、どうしてもその気になれません」「なめようとしてみるんですが、やっぱりダメです」という会話がくり返されました。

そこで、ある日、「それでは、クリニックにあるこのテーブルではどうですか」と方針を変えてるとどうでしょう。少しハードルを下げたわけです。ところがAさんは、やはりテーブルをなめることができません。

ほかの人の目があることももちろん影響していると思います。「それじゃあ、治りませんね」と、少し強めに言うと、次に来たときは、「今日は、テーブルをなめる覚悟を決めてきました」というではありませんか。でも、手には消毒用のアルコールルをもっています。
それではダメと、その日はそのまま帰っていただきました。そして、次の来院時に、ついにテーブルをなめたのです。消毒なしです。
なめることができました。それからはAさんに、驚くほどの変化が生じてきました。かつてない明るい表情になって、態度がのびのびとしてきたのです。
茶目つ気も出てきました。大のおとなが、こうも変わるかという激変です。それまでAさんをがんじがらめにしていた拘束感がパラリとほどけたのです。

その後、Aさんのうつ症状は快方に向かいました。いまでは睡眠薬なしで眠れるま籾でに回復しています。離婚話も様子見ということになっているということです。

夫婦の関係

夫婦3点セットとは

結婚している人で心の不調を抱えている場合、原因は夫婦関係にあることが少なくありません。とくに女性の場合はその傾向が顕著です。夫婦関係が原因になっているうつは、「夫婦3点セット」を実行してみましょう。
夫婦3点セットとは、次の3つを行なうことをいいます。

  1. 外を歩くときは夫婦で腕を組む
  2. テレビを見るときは、夫婦で手をつないで見る
  3. 出勤・帰宅時、玄関で相手の首に抱きつく

「もう数ヶ月も口もきいていない。離婚するほかはない」という場合でも、勇気を出して自分を励まし、この3つのことを実行してみてください。
3つとも、スキンシップを通して、夫婦がともに、子どもの自分、つまり本音の自分を出し合う練習なのです。単純なようですが、人間関係では、スキンシップは重要な意味を持っているものなのです。

母子の関係を思い出してください。絶対的に好きな人だったお母さんでさえ、「大好きよ」と100 回いってもらうより、1回ぎゅっと息が詰まるぐらい抱きしめてもらったときのほうが、強い愛情を感じたのではなかったでしょうか。

1つ屋根の下に住んでいながら、夫婦がちゃんと向かいあう時間はほとんどない家庭が増えています。そんな月日を重ねていけば、気がついたときには、夫婦という名の他人になってしまっていて当然です。
その夫婦の人間関係の修復を進めるのが、このスキンシップなのです。夫婦が仲のよい仲間の関係になれば、家庭も変わります。

ふれあいの実感

夫婦3点セットに、「そんなことはできません」と、強い拒否反応を示す人が少なくありません。そういう人にこそ、ぜひ、実行してほしいのです。
ずっと冷たい関係が続いている場合は、あらかじめ、夫婦3点セットの意味や目的を説明しておくとよいでしょう。

はじめは抵抗があるかもしれませんが、慣れてくると、相手の手の温もりは心も温めてくれるものだと実感するようになります。すぐそばに、いつでもふれ合える手があることは、本当にすばらしいことなのです。

3点セットと同時に、「○○ちゃん」などと、お互いを愛称で呼び合う練習も採り入れるようにしてください。「夫の顔を見るのもイヤ。離婚したい」という冷たい関係が、夫婦3点セットによって、たったひと晩で改善したケースがあります。ある人は、夫婦3点セットをおすすめしても、「無理です」とくり返すばかりでした。ついに私が「それでは、うつは治らないかもしれませんよ」と少し強くいうと、しばらく黙って、「じやあ…やってみます」といって、帰っていきました。

ご主人の携帯にメールを入れておいたそうです。「先生に、今晩、あなたが帰ってきたら、玄関で抱きつけといわれてしまったので、仕方がないのでそうします」ところが、こんなメールを受け取り、面食らってしまったご主人は、ふだん以上に帰宅の足が重くなってしまったのです。「ちょっと飲んで帰ろう」が1軒ではすまず、2軒、3軒と寄っているうちに、自宅に帰りついたのは午前3時を回っていました。

その間、「あんなメールを入れたので、帰ってこないかもしれない」という緊張と不安のなかで、ひたすら待ち続けていたのです。鍵を開ける音がしたとき、不安と緊張の極致にいたFさんは、見えない力に押し出されるように玄関に行き、気がついたら、ごく自然に、ご主人の首に固く抱きついていたそうです。まったく予想もしていなかったことが起こったのは、次の瞬間です。抱きついたとたん、涙がどっとあふれ、止まらなくなってしまったのです。

涙はご主人の心にもしみていき、ご主人の手は自然に奥さんの背中に回っていたといいます。それから、2人は家の中でも、出かけるときでも手をつなぐようにしたそうです。しだいに会話も増えていき、いつの間にか離婚話は立ち消えになっていました。

さらに、夫婦関係がよくなるにつれて、うつがよくなったのは当然として、会社や近所づき合いなど、他の人間関係のギクシャクも好転したといいます。
夫婦関係がうまくいかなくなったのは、自分の心が閉ざされていたからです。それが解消されれば、他の人間関係もうまくいき始めます。

親と子どもは「温め仲間」になりなさい

日本の家族関係は、家族それぞれが自分をどう位置づけていいのかわからなくなっているようです。父親を中心にした関係は薄れ、最近は父親の存在感は薄れる一方です。
妻は妻で自立願望がありながら、どこかに夫に依存して生きるラクさが身にしみていて、自己矛盾を起こしています。その結果、子どもは絶対的に信頼できるものをなって不安に陥っているのです。

目ざすべき新しい家族関係は、ひとりひとりが自立しつつ、お互いを認め合い、受け入れ合う関係でしょう。一種の仲間のように心を許し合うには、みんなが「子どもの自分」を丸出しにしても安心なのだという認識を共有することです。

ぬいぐるみ療法

ふわふわパワー

よくおすすめするもう1つの方法が「ぬいぐるみ療法」です。好きなぬいぐるみに、1日に何回も話しかけたり、だっこして一緒に寝たりします。
他愛なく、場合によっては「ええ? 」と感じる方法かもしれません。ところが、これも続けていると明らかに自分が変わってくるのです。

これは、行動によって心に働きかけ、心を変えていく行動療法の1つです。心をおおっている固いから殻を、ぬいぐるみを用いることで、破りやすくするのです。その変化がまわりの人にも伝わり、心の不調は目に見えてよくなっていきます。

まず、お気に入りのぬいぐるみを1一つ、手に入れてください。心からかわいいと思うものを選びましょう。少し大きめの、抱き心地のよいものがいいでしょう。
そして、短く、シンプルな名前をつけます。たとえば「モモ」とか「クマちゃん」とかです。このぬいぐるみを、いつも目に入るところに置いておき、1日に何十回も呼びかけます。ベッドで一緒に寝たり、しょっちゅう抱っこするのもいいでしょう。

こういうアドバイスをしていると、途中で「そんな気持ち悪い話を聞くためにわざわざ足を運んできたんじゃないんです。もっと有意義な話をしてください」とにらむ方もいるくらいです。でも、とにかく、実践してみてください。不思議なくらい気持ちが安らぎ、ほっと安心できます。

ぬいぐるみに話しかけたり、一緒に寝たりすることを通して、「自分のいいたいことを率直に口に出す」「自分の意思を態度に示す」といったことを、無意識的に練習しているわけです。

また、いいおとながぬいぐるみを抱っこしたり、おんぶすることには、おとなはこんなことはしないものだという世間知をぶち壊す目的も含まれています。
ペットでもいいのですが、ここまでの効果は期待できません。ペットには命があり、意志があり、感情があり、それなりの反応があるからです。自分の心の声を吸い取ってくれる存在にはならないのです。
うつ傾向の方のなかには、ペットの世話が負担になる場合もあります。だから、ぬいぐるみがいちばん、というわけなのです。

自分の本年がわからなくなってしまっている人は

子どもの自分とおとなの自分

「自分がしたいように、伸びやかに振る舞ったほうがいい」とアドバイスすると、「自分が本当はどうしたいのか、よくわからない」という答えが返ってきてしまうことが多々あります。

自分の本音がわからないのは、長いこと、自分自身の本当の声を押しっぶしてきたからです。まず、自分自身を解き放つことから始める必要があります。
自分が本当はどうしたいのかわからない人は、自分のなかの「子どもの自分」と、「おとなの自分」が協調できなくなってしまっていると考えられます。その人の個性や感受性、考え方などを総合したものを「人格」と呼びます。

人格は、多層構造をしていて、核に「本音の自分」があり、それを「表層の自分」が包んでいます。表層の自分とは、成長していく段階で社会の秩序や規律、価値観を身につけ、周囲の社会や他の人に合わせていく自分です。

つまり、本音の自分を「子どもの自分」と呼び、表層の自分を「おとなの自分」と表現できるでしょう。「子どもの自分」は、その人の欲求、感情をむき出しにし、好き嫌いや甘えもそのまま、発揮している状態です。

「おとなの自分」は、子どもの自分を包み込み、だれからも非難されず、世間からはみ出さないように判断や行動をしている自分です。

精神的に健康でバランスのとれた人間になるには、「子どもの自分」と、「おとなの自分」が伸よく、協調している状態になることが大切です。

自分を抑える自分

うつになったり、気分障害に悩まされたりしている人は、「子どもの自分」が必要以上に押さえ込まれていたり、「おとなの自分」が「子どもの自分」をうまくコントロールできないでいる人です。

たとえば、公共の場でバカ騒ぎしたり、周囲を不快にさせるような人は、「子どもの自分」がはみ出してしまっています。逆に、いい人すぎてハメをはずせない人は、「おとなの自分」が強すぎて、「子どもの自分」が息も絶え絶えになっています。

うつ症状に悩む人の中には、「なぜ、この人がうつなのだろうか? 」と思えるほど、ニコニコと笑顔が絶えない人もいます。しかし、その笑顔は要注意です。
それは、「人と接するときは必ず笑顔で」と刷り込まれた結果、腹が立っていようが、苦しかろうが、泣き出したかろうが、笑顔になってしまっているからです。

「おとなの自分」が「子どもの自分」を完全に押え込んでいる。こんな状態を長く続けていれば、精神がバランスをくずすのは当然です。
うつになりやすい人は、なによりもまず、「子どもの自分」の息を吹き返らせ、伸びやかに解き放ち、そのうえで、「おとなの自分」との調和を図るようにします。

自分のことは大好きですか?

幼いころ、怖いことや不安なことに出合うと、お母さんのところに飛んで帰り、お母さんが「大丈夫よ」といってくれると、それだけですっかり安心していました。
そんなイメージで、自分に「大丈夫」と話しかけましょう。自分の姓ではなく名前を、あるいは、自分の幼いころからの愛称で、自分に話しかけます。

「大丈夫!大丈夫!」と話しかけます。「なにが大丈夫なんだろう」と思う人もいるかもしれません。理由などいりません。とにかく、「大丈夫!大丈夫!」と、実際に声に出して語りかけるのです。

次は、自分が自分をいつも大好きで、応援していることを伝えます。心の奥底から気持ちを込め「大丈夫!」という練習をくり返します。これについては、初は冷やかな人もいます。「バカバカしい」といわんばかりの人もいます。

でも、とにかく、「大丈夫!大丈夫!」とくり返し、いうのです。5分間に1回くらい、ひたすら「自分のことが大好き」をくり返します。
生活のなかで、いつも思い出していうことが大切です。最初は気恥ずかしさがあるかもしれません。でも、くり返しているうちに慣れてきて、心の奥に火が灯ったような温かさを感じるようになってきます。

自分が大好きとくり返すのは、自分の本音を取り戻すための具体的な方法の1つです。専門的にいえば、自分を見る目が間違っていたという「認知のゆがみ」に気づくための行動です。
声に出していうのは、言葉の力を利用したいからです。恥ずかしいからと、頭の中でをくり返しても、効果はかなり薄くなります。

うつの方はまじめで、「1 日に100回いうようにということでしたが、昨日は9回しかいえませんでした。大丈夫でしょうか」と、律儀に数えている人もいます。でも、いうまでもなく、1日100回は目安。もっとアバウトにかまえ、できるだけ頻繁に自分に「だ大好き」と声をかければいいのです。とにかく、実行しなければ始まりません。さっそく、自分のことを「大好き」といってみましょう。

子供の自分にあやまる

「もうわけがわからないんです。自分がなんなのか? なんのために生きているのか。それを考えるのさえつらい」と、ほとんど泣きながらいっている方がいました。

そのとき私がおすすめしたのは、「子どもの自分」に、「いままで押えつけていてごめんね」とあやまる方法でした。そういう人は、子どもの自分の存在を無視し、抑圧し、子どもの自分の存在すら認識できません。本音の自分、つまり子どもの自分が「なにが好きなのか」「なにをしたいのか」すらわからなくなっているのです。

だから、自分に対して「大好き」ということができないのです。それほど、自分の本音を押し殺して生きてきたのです。ですから、そのことを、まず自分自身に心からあやまることから始めましょう。

うつ傾向かどうかを見分けるポイントの1つに「別にい」症候群があります。「なにを食べる?」と尋ねられて「別にい」、「あの映画おもしろかった?」と開かれて「別にい」。相手をバカにしているわけではなく、本当に「どうでもいい」と放り出してしまっている症状です。

それはそれで、苦しいものです。こうした人にも、無視してきた「子どもの自分」に率直にあやまることをおすすめしています。と何度も何度も、声に出して謝ります。異常な光景だと思いますか?そうではありません。縮こまって震えていた「子どもの自分」が、ちらりとこちらを見てくれて、にっこり笑ってくれたとイメージしてみてください。ジワッと温かいものが体の奥に広がっていくような感じがしてきませんか?
そういう感覚を感じられるようになるまで、「無視してきて、ごめんね」と毎日 謝ることを続けてみてください。

うつの方の心のなかには、自分自身に対する憎しみ、うらみ、自己卑下など、自分に対する屈折した思いが、ごつたになってたまっていて、それは、あたかも火山の奥底のマグマのようにどろどろしています。

そんな自分に対して屈折している状態のところに、いきなり「大好き」と声をかけても、うまく伝わっていかないのです。だから、まず、それだけいじめてきた本音の自分に謝るのです。
そして、謝るときも、「ダアアアイ好き」というときも、頭からいい聞かせるようないい方や、「謝ってやっている」という上から目線ではなく、そばに座ってあげて、本音の自分の寂しさやつらさを、心からわかってあげる気持ちで、「寂しかったね。ごめんね」といってあげるのです。
自作自演でなんの効果があるのだろうと思う人もあるかもしれません。実は、自作自演だからこそ、効果があるのです。自分が完全に自分自身を受け入れ、自己受容のできる自分になるのが目的だからです。完全な自己受容があって初めて、精神的な自立ができるのです。

自分を変える

人間関係イコール自分関係

気分が滅入ってしまう理由のほとんどは、人間関係です。うつは、まきわりの人との軋轢から逃げだしたい一心で、自分のなかに自分を封じ込めている状態だともいえるのです。
意外なことに、解決の鍵は他人との関係ではなく、自分との関係を見直すことに潜んでいます。人間関係は、自分が自分をどう見ているかを、そのまま反映しています。

人間関係を温かいものにしたいなら、まず、自分を見つめる目を温かくすることです。大らかに他人を受け入れられる人は、自分も大らかに受け入れているものです。他人との関係性がうまい人は、自分との関係性がうまい人なのです。

イライラしていると、他人のなんでもない言動までとがめだてしたくなります。石ころにつまずいて転んだら、「ここに石があるのが悪い」と、石のせいにしたくなります。

逆に、うれしいことがあって心が浮き立っていれば、たとえ足を踏まれても、「足を出した自分が不注意だったかも」とおおらかに考えることができます。

ですから、人との関係がぎくしゃくするのは、自分に問題があるからなのです。つまり、うつの方は例外なく「自分はダメな人間だ」「こんな自分が情けない」「もう少しましな人間に生まれたかった」などと自分に否定的な感じを持っているのです。

「自分のことが好きですか? 」と尋ねると、「そんなわけがない」という反応で、なかには、「自分なんて嫌い。大嫌いだ」と怒り声になる人もあるくらいです。

そこで、まず、自分へのまなざし、つまり自分に対する価値観を変える必要があります。そこを変えなければ、なにも変わっていきません。あなたを変えることができるのは自分自身だけです。他人が変えることはできません○たとえ親子でも、親ができるのは、「こういう点がよくないのだから、直すように努力してほしい」「いまが大事なときなのだから、全力投球すべきだ」などといい聞かせることぐらいです。本人がそれを理解し、自分自身で行動を変えなければ、なにも変わらないのです。

人間関係を好転したいのなら、相手を変えようと努力するより、自分が変わる王道に向かうことです。

自分に温かい日を向ける

多くのの人は、自分に点数をつけてもらうと、「30点ぐらい」といいます。よくて60点です。なぜ、「自分は100点」といい切らないのでしょう。

仕事や学業の成績のように、だれかと比べるわけではないのです、自分自身に対する自己評価は満点をつけてもいいのではないでしょうか。私は、うつの方には、自分をとことんほめるクセをつけることをおすすめしています。ほめるポイントは、当たり前のこと、どうでもいいところをほめることです。「朝ちゃんと起きている」「ご飯を上手に食べている」「新聞をちゃんと読んでいる」「迷わず駅まで歩いている」といった、いまやっている一挙手二投足をほめちぎるのです。

ロボット工学の進化は目覚ましいものがありますが、これだけのことをできるロボット開発には、莫大な資金と相当な時間がかかるでしょう。
開発されたとしても、膨大な制御装置を必要とするはずです。人間のようなサイズに収めることは困難です。

自分は、それらを難なくやってのける能力を持っているのです。そんな自分がなぜ30 点なのでしょう。スムーズな二足歩行ができるというだけでも100点満点をあげ、大いにほめる価値があります。

「以前の自分はもっと仕事ができた。最近は気力が弱って力を発揮できない。そんな自分が受け入れられない」という悩みもよく聞きます。まじめで責任感の強い人ほど、努力すること、仕事ができることを評価し、力が落ちた状態の自分を非難するのです。田でも、自分が弱っているなら、なぜ、よけいにやさしく温かく見てあげないのでしようか。がんばれた自分と、がんばれなくなっている自分。前者は評価し、後者は卑下する。二者を峻別するのは、会社や社会の価値観そのままです。会社や社会は、個人とはまったく別の価値観で動いているものです。
だからこそ、自分が自分を見るときは、そうした価値観を離れ、自分に温かい視線を注いであげましょう。

自分の存在を否定しない

大事なことは、いちばん苦しく、みじめな最悪の自分を包み込み、ごく当たり前のことができるだけでも大いにほめる姿勢です。たとえば、子どもがなにかいたずらをして、お母さんにしかられたとします。このとき、子どもは、しかられることで二つのメッセージを受け取ることになります。「あなたのしたことは悪いことだから、もうしてはいけない」という行為への注意と、「あなたはダメな子」という存在の否定です。これは、自分が仕事で失敗して上司に叱責される場合を考えてみると、よくわかります。

たとえば部長にきつく叱責され、「君のようなスタッフがいると、チーム全体が足めんばを引っ張られることになるんだ⊥ と罵倒されたとしましょう。
あなたは、「もうこの部長は、自分のことをダメな部下だと思ったに違いない」と感じて意気消沈するに違いありません。しかし、課長から「あのあと部長がいっていたよ。期待しているから、あんなにきつく叱責したんだ、とね」と聞くと、とたんに安心してうれしくなるでしょう。

これを自分に置き換えてみると、どうでしょうか。失敗したり、みじめな自分を嫌うことは、自分の行為ばかりか、存在をも否定することになってしまうのではないでしょうか。どんな自分も自分です。それなのに、いいときの自分は受け入れ、失敗したときの自分は受け入れないのは、おかしいと思いませんか。どんなときも、自分を100% 受け入れることです。修正が必要なときも、いったん受け入れたうえで、そこから修正を始めましょう。

そうすれば、自分をとことん追い込んでしまうことはありません。自分を受け入れる方法の1つが、「自分ほめ日記」をつけることです。どんな日も、日記にまず、「今日もよくやった」と書くのです。うまくいった日は「われながらよくやった」と書き、失敗した日は「失敗をあの程度でくい止めたなんて、われながらよくやった」と書きます。毎日、「よくやった」の連続です。こうした積み重ねにより、つねに自分を絶対肯定する力をつけていくのです。