心の縛りをゆるめる方法

「畳をなめる」ことで起きる変化

「畳をなめてごらんなさい」と言われたらどうでしょうか。あなたは畳をなめられますか?畳をなめる意味には、人は、いかに外から植えつけられた思いに縛られているか、それを取り外すことの大変さと簡単さを身をもって知ってもらうよいきっかけになります。

いい大人に「畳をなめてごらんなさい」というのですから、だれもがキョトンとします。誰もが、畳をなめるなんて考えたこともないでしょう。
そんなことにどんな意味があるのだろうと思っていませんか。実は、「畳をなめるなんて考えられない」「意味がない」という思い込みこそ、自分が外部からの考え方に支配されていることを物語っているのです。

赤ん坊のころを思い描いてみましょう。親の目を盗んで、畳をペロペロなめていたはずです。それどころか、テーブルの緑、泥だらけのボール、犬がかじっていた玩具など、なんでもわけもわからず、なめまくつていたはずです。

それが原因で病気になることなどめったにありませんでした。それなのに、より抵抗力がついたおとなになると、かえって畳をなめることができなくなるのです。なぜでしょうか?

それは、畳をなめるたびに、まわりのおとなから、「畳なんかなめちゃダメ。汚いのよ」といわれ続けてきたためです。そのため、成長するにしたがって、いけないものだという考えが刷り込まれてしまったのです。

つまり、おとなになって畳をなめるという行動は、長年にわたって自分を縛ってきた刷り込みや価値観を打ち破ることの象徴なのです。

拘束感がぱらりとほどけた

当然ですが、理屈はわかるが、わからない…という人がほとんどでしょう。そこで、実例から説明しましょう。Aさんは不眠症に悩まされ、夫婦関係も不和になり、離婚話までもちあがっていました。このとき、睡眠薬などを飲んでもらいました。

話を聞くと、それだけでは、Aさんのかたくなにこり固まった心と状況は、改善しそうにない状況でした。このとき、「畳をなめてごらんなさい」とすすめてみました「とんでもない。そんなことできません」と、Aさんは大きく首を横に振って帰って行きました。

それから1ヶ月、2ヶ月と顔を合わすたび「畳をなめられましたか? 」「いえ、どうしてもその気になれません」「なめようとしてみるんですが、やっぱりダメです」という会話がくり返されました。

そこで、ある日、「それでは、クリニックにあるこのテーブルではどうですか」と方針を変えてるとどうでしょう。少しハードルを下げたわけです。ところがAさんは、やはりテーブルをなめることができません。

ほかの人の目があることももちろん影響していると思います。「それじゃあ、治りませんね」と、少し強めに言うと、次に来たときは、「今日は、テーブルをなめる覚悟を決めてきました」というではありませんか。でも、手には消毒用のアルコールルをもっています。
それではダメと、その日はそのまま帰っていただきました。そして、次の来院時に、ついにテーブルをなめたのです。消毒なしです。
なめることができました。それからはAさんに、驚くほどの変化が生じてきました。かつてない明るい表情になって、態度がのびのびとしてきたのです。
茶目つ気も出てきました。大のおとなが、こうも変わるかという激変です。それまでAさんをがんじがらめにしていた拘束感がパラリとほどけたのです。

その後、Aさんのうつ症状は快方に向かいました。いまでは睡眠薬なしで眠れるま籾でに回復しています。離婚話も様子見ということになっているということです。