がんばらない自分を認める
いい加減を練習する
完璧を目ざすのは大変だけど、「いいかげん」「適当に」生きるのは簡単だ、と思う人がほとんどです。ところが、長い間、「失敗はダメ!」「見落としがないように」と努力してきた習慣は、そう簡単には抜けません。そこで、「いいかげん」の練習をしてみましょう。
- お金を落とし、拾わないで立ち去るこれは100円で練習します。毎月決まった収入で暮らしているのですから、100円といっても大事なお金です。けれど、ここで見方を変えれば、100円くらいの無駄は平気でしているものです。3個298円で買ったトマトを1 個、腐らせて捨ててしまったり、100円ショップで買ったボールペンを落としても平気だったりします。それなのに、100円玉は拾わないと気になってしまうのは、モノでなくお金だからです。そのこだわりを捨てます。100円で自分を変えることができます。
- ボサボサ髪、ジャージー姿で外に出るいいかげんな姿で、たとえば近くのコンビニやスーパーまで行ってみるのも練習の1つです。「そんなの平気さ。ふだんからよくやっているもの」という人は、気分が落ち込むことはきっとないので大丈夫です。
- 新聞紙をどリビリ破いて散らかすきれい好きの方は、破いた新聞紙を散らかして、そのまま、その新聞紙の上にふとんを敷いて、その部屋で寝るのです。
- 左右違う靴下や靴をはいて外出する
- 下着を2日間ぐらい変えない
- 朝食のあと歯磨きをしない
- テキスト
どれもばかばかしくて非常識です。それを、あえて実行してみるのです。なぜなら、だれが見ても常識にかない、社会人としてきちんと振る舞うべきだという、頭にこびりついた価値観を、はがしたいからです。
こうした練習をくり返しているうちに、どんなに非常識なことをしても、他人に迷惑をかけないかぎり、だれも笑ったり、非難しないことに気づくはずです。
世間は、思っているより、ずっと「いいかげん」で「適当」であり、幅広い許容範囲を持っているものなのです。自分が感じる「世間」の9%は、自分自身がつくりだした幻なのです。
がんばり屋さんの自分の行動を変える
うつの方は、これまで数えきれないほど自分自身に「がんばろう」「がんばらなくては」といい続けてきたはずです。でも、実は、そんなにがんばらなくていいのです。
がんばる生き方は心を冷やしてしまいます。かたくな「頑張る」のは、頑に、張りつめることです。自分を追い詰め、心を固く縮こまらせ、余裕や温もりを奪ってしまう生き方です。
心を冷やしてしまわないためには、むしろ、「がんばらない」生き方を目ざしたほうがいいのです。がんばることが評価され、がんばれない人は否定されてしまう現在の風潮は、おかしいというより、間違っています。
肩の力を抜いてのびのびと仕事や人生を楽しむほうがいいのです。楽しむことがずかしければ、つらさを感じない程度にとどめる阿畔の呼吸を覚えたいものです。
「がんばった自分にごほうび」が流行しているように、多くの人が、がんばっている自分が好きで、つい、がんばりすぎてしまうのですが、危険です。がんばり続けていると、心や体は、もうムリというサインを送ってきます。
「どうも気が向かない」「今日は集中できない」などという気持ちがそうです。そんな日には、もうがんばってはいけません。出勤途中でそんな気持ちがわいたら、そこで方向転換して、行きたいところに行ってもいいではないですか。
会社には、「適当な」口実で「休みます」と連絡を入れれば十分です。これをうまくできる人は、うつ病にはなりません。非常に厳しい時代ですが、1日や2日の突然休暇でクビになることはありません。あったとしたら、すでにクビのリストに入っていたのです。
それよりも無理をしてがんばり続け、うつになってしまったら、もともこもないと思います。
いいわがままのすすめ
本来の意味とは異なった意味で言葉が使われている典型例のもう1つが、「わがまま」です。うつ傾向がある人は、「わがまま」に生きていません。
「わがままに生きる」ことは、いまの社会では否定されています。子どものころから、「わがままは許しません」といわれてきた人も少なくないでしょう。
「わがまま」は「我が儘」と書きます。自分があるがままに、自分らしく、というのが本来の意味なのです。人は「わがまま」に生きられたら最高なのです。
つねに自分を抑え、まわりを優先し、まわりに合わせ、自分が突出することがないたがままようにブレーキをかけ続けるのは、いわば「他儘」であり、心が冷え固まってしまうのは当然です。「わがまま」で、自発的、創造的、個性的な生き方を目ざしていきましょう。制約はあるでしょうが、そう目ざしていれば、心はやわらかさ、温かさを保っていられるものです。
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