認知療法(認知のゆがみの定義)公式情報

認知療法は、うつ病の精神療法として、米国で発展しました。うつ病に限らず、ストレスの多い現代社会で有用な考え方です。
認知とは、ある瞬間のもののとらえ方ですが、ストレスが多い環境ではマイナスに向かいやすく、合理的は判断ができなくなります。こうしたとき、いくつかの思考パターン(認知のゆがみ)になっています。
この思考パターンを自覚し、ちょっとした修正をはかることで前向きになり状況がよくなったり、自信が回復します。

「全か無か思考」

ものごとを白か黒かのどちらかで考える思考法。少しでもミスがあれば、完全な失敗と考えてしまう思考。たとえば、いつもAをとっている学生がたまたまBをとると、「もう完全にだめです」となったり、あるいは、とるに足りない小さな失敗をしても、「自分は完全な失敗者で価値のない人間だ」と思ってしまう。したがって、ちょっとしたミスも恐れてしまう。

一般化のしすぎ

たったひとつのよくない出来事があると、「世の中すべてこれだ」「いつも決まってそうである」「うまくいった試しがない」…などと考える。あるいやな出来事が一度起こったたとすると、それが何度も何度も繰り返し起こるように感じてしまい、それも、とても不愉快なことが起こるように感じるから、すっかり憂うつになってしまう。したがって、傷つくことを極度に恐れるあまり、逆にいつもそうなんだと自分に言い聞かせ続けることになる。

心のフィルター

たったひとつのよくないことにこだわって、そればかりくよくよ考え、現実を見る目が暗くなってしまう。ちょうどたった1滴のインクがコップ全体の水を黒くしてしまうように。
たとえば、試験で100問17問間違えた学生が、そればかり考えて「落第してしまうに違いない」となる。
実際は、100間中83問の正解で、評価はA。世の中のポジティブなこと、明るいことを見えなくしてしまう。意識に上ってくることは、なにもかもネガティブなことばかりになる。本人はこのようなフィルターがかかっていることに気づかず、「世の中真っ暗」と感じている。

マイナス思考

なぜか、よい出来事を無視してしまったり、なんでもないことやよい出来事を悪い出来事にすり替えてしまうので、日々の生活がすべてマイナスのものになってしまう。単によいことを無視するだけでなく、正反対の悪いことに替えてしまう。お世辞に対する反応は謙遜であるが、そまれ以上に、人からいわれた褒め言葉やほかのよいことを無視する。

結論の飛躍

根拠もないのに、事実と違った悲観的な結論を一足飛びに出してしまう。これには「心の読みすぎ」と「先読みの誤り」の2つのパターンがある。

  • 心の読み過ぎ
    ある人があなたに悪く反応したと早合点してしまう。たとえば、「居眠り学生(前日遅くまで馬鹿騒ぎ)」を「自分の授業を退屈がっている」「挨拶をしなかった友人(考え事をしていた)」を「もう嫌われてしまった」と考えてしまう。
  • 先読みの誤り
    事態は確実に悪くなる、と決めつけてしまう。たとえば、「友人に電話をかけ、不在のため戻りしだい電話を、と伝言を頼むが、電話がこない」という状況を「もう嫌われてしまった」(心の読みすぎ→実際は、伝言が伝わっていない)、「もう一度電話をかけたりすれば、ますます嫌われる」(先読みの誤り)と考えてしまう。

拡大解釈(破滅化)と過小評価

自分の失敗を過大に考え、長所を過小評価する。逆に、他人の成功を過大に評価し、他人の欠点を見逃す。「双眼鏡のトリック」ともいう。

感情的な決めつけ

自分の憂うつな感情は現実をリアルに反映している、と考える。「こう感じるんだから、それは本当のことだ」「私はタメな人間のように感じる、それがなによりもタメな人間の証拠だ」「私は罪の意識を感じる、だから悪いことをしたに違いない」「もうなんの希望もないように感じる、だから、私の今の問題はまったく解決不能だ」「自分がずれているように感じる、だから全然価値のない人間だ」…など、マイナス面ばかり感じるので、事態はすべてマイナスだと思ってしまう。

すべき思考

何かやろうとするときに、「~〜すべき」「~すべきでない」と考える。あたかもそうしないと罰でも受けるかのように感じ、罪の意識をもちやすい。他人にこれを向けると、怒りや葛藤を感じる。

レッテル貼り

極端な形の「一般化のしすぎ」である。ミスを犯したときに、どうミスを犯したかを考えるかわりに、自分にレッテルを貼ってしまう。「自分は落伍者(敗北者、タメ人間) だ」また、他人が自分の神経を逆なでしたときには、逆の評価(レッテル貼り) を相手に与えてしまい、思わぬ相手の怒り、自己嫌悪を誘発。自分に対しても他者に対しても、そのレッテルは感情的で偏見に満ちている。

個人化

何かよくないことが起こったとき、自分に責任がないような場合にも自分のせいにしてしまう、罪の意識のもとになる考え方。たとえば、「子どもの成績が悪かった」のを「これは私の責任だ。タメな母親だ」と考える。