ずっと昔の古傷が今になってぶり返している
子供の頃に満たされなかった、満たされすぎた2つの症例
人間は、育つ過程で身につけていく性格の割合がたいへん大きいことは、言うまでもありません。だからこそ、育っていく段階がとても大切です。
幼児期の体験が、人格形成の上で大きな要素となることは否めません。ごくまれに、本人の記憶にはなくても、幼児期のつらい体験や残虐なことをされた体験が「心の傷= トラウマ」になって残っていることがあります。
また、両親の仲の良し悪しや関係が子どもに影を与えていることもあります。これらは、思いもかけない形で大人になってからの感情を支配したり、行動を規制したりすることもあるようです。
ただし、これは自らが選んだことでも、選べることでもありません。また人間には、あまりにもつらいことは記憶のふちに沈めてしまうという、自衛本能のようなものがあるため、実はトラウマに原因があることに気づかずに悩み続けることも多いのです。
これを心の中の「不幸な子ども」と言っています。もしも、心の隅で暗い目をしてひとりぽっちでふるえている子どもを見つけたら、やさしく手をさしのべてください。
そして、難しく時間のかかることかもしれませんが、その子どももまた、自分の一部なんだと認めてやりましょう。認め、肯定することが、その子どもを癒すことにつながります。
30歳代の女性、S さんも、この「不幸な子ども」を心の中に住まわせているひとりです。とてもマイナス指向が強く、周囲の人も社会も、自分にだけは「何もしてくれない」が口ぐせです。
その気持ちが高じて、自分の殻に閉じこもり、外に出るのが怖い、人と話すのが怖い、と仕事にも通えなくなりました。
ご両親は別居中で、彼女は母親と同居しています。ところが、この母親との幼い頃からの関係が、現在の対人不信などに影響しているようだと、最近になって気づきました。
S さんは幼い頃からからだが弱くて学校も休みがちでしたが、2歳年下の弟はとても元気な子どもだったそうです。
彼女は、母親がこの弟ばかりをかわいがっていると感じながら成長したようなのです。たとえば遠足のときなども、弟には早起きしてお弁当をつくるのに、S さんはコンビニのお弁当を持たされたりと、ずいぶん悔しい思いをしたといいます。
また、社交ダンスに夢中だった母親は、風邪で熱を出している六年生のS さんに薬を飲ませただけで、弟と留守番をさせてダンスの会に出かけてしまったこともあるそうです。
母親の留守中にますます熱が上がって救急車で入院したのですが、そのときも「ゴメンネ」と一言だけで、あまり心配したり反省したりした様子も見られなかったというのです。
母親が、近所では「面倒見がよい」という評判の人だっただけに、「わたしにだけ、何もしてくれなかった」という思いはつのる一方です。
もっと愛してかまって欲しい、という幼い頃の気持ちが満たされないまま大人になって、母親や世間への恨みつらみの感情から逃れられないでいるのでしょう。それがいまのマイナス指向になっているのです。
過ぎてしまったことはどうしようもないこととして忘れるのが一番。彼女が恨む気持ちを断ち切れるのはいつのことでしょうか。まだまだ、時間がかかりそうです。
また、子どもの頃に愛されすぎたことが災いした、次のようなケースもあります。Y さん夫婦のひとり息子は現在、24歳。子どものころから成績はいつもトップクラス。お定まりのコースを歩んで一流大学から一流企業への就職が決まり、これでひと安心とホッとしたご両親でした。
ところが、問題はそこから始まったのです。しのぎを削って入った会社を、たった3ヶ月で突然辞めてしまいました。
理由は「僕の能力を生かしてくれない」と、たったそれだけ。では、能力を生かせる職場を探すのかと思うと、その後はずっとプラプラ過ごし、かといって家業の書店を手伝うわけでもありません。
あげくのはてに、「小遣いをくれない」「文句ばっかり言うな」などといって母親に暴力をふるうようになったのです。ほとほと困り果て、もてあまして相談にいらしたY さんにはお気の毒ですが、これは両親の育て方に大きな問題がありました。
ひとり息子を溺愛し、勉強さえしていればそれでよしとして甘やかされて育った彼は、社会的な適応性をほとんど身につけずに大人になってしまったのです。
その結果、ふつうの人なら耐えられることもガマンできません。順応性や抑制力のまったくない「大人子ども」は、24歳になったいまも自分の感情のままにしか生きていけない…
これは、最近ではよくある例なのです。彼が社会人として生きて行くためには、相当の時間をかけて、大人の心をもう一度育て直さなければならないでしょう。
ストレスに強くなるためには、心の中の五人家族のうちF C (自然な子どもの心) を丈夫に育てましょうという話をしてきました。
Y さんの息子の例は、心の中の他の家族、特にA (大人の心)がほとんど育たずに、F C の天下になってしまったケースと言えるのでしょう。心の中でひとりぽっちになってしまったF C もまた、「不幸な子ども」と言えるのかもしれません。
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