神経の疲れをとる「森林浴」のすすめ
木や自然に親しむことで「心のメンテナンス」を行う
自然には、人智を越えた、大きな「癒し」の力がそなわっています。神経が疲れていたり、心に大きなストレスをかかえた人をやさしく包み込んで癒してくれるばかりか、明日への活力をチャージしてくれます。
目が疲れたなと思ったら窓から遠くの緑を眺める、仕事に疲れてしまったお昼休みは会社の近くの公園のベンチでしばらくボーッと過ごす、気持ちがギスギスしそうな部屋の中には観葉植物の鉢植えを置く など、さほど意識しなくても、わたしたちは自然の「癒し」の力を日常的に借りています。
でも、積極的に心の傷を癒したり、メンテナンスしていくためには、もっと大きな自然に意識的に心身をゆだねたいものです。しかし、私たちの住んでいる場所からは自然がだんだん遠ざかり、心がなぐさめられる風景が日増しに少なくなってきているように思えますから、ときには自分から自然を求めて、旅に出たり、遠くへ足をのばす必要がありそうですね。
仕事上のストレスがもとで一時的に目が見えなくなる、という体験をした方の、自然との対話による癒しの例です。
Kさんは、機械の設計技師。かなり神経を使う精密な作業が多いため、目の疲れからくる首や肩のこりに慢性的に悩まされていました。でも、休日には好きなテニスを楽しみ、こり固まったからだもスッキリほぐれて、ストレス解消にもなっていたのです。
ところが、やりすぎたせいか、テニスひじになってしまい、設計の仕事にも支障が出てきたので、やむをえず、しばらくテニスを休むことにしました。
すると、ストレスの逃げ場がなくなったのか、ほどなく目が異常に疲れるようになりました。ときには開けていられないほどになり、これでもまた、仕事ができなくなってしまったのです。
ところが、眼科での診断は、異常なし。
目と首や肩の体操と、カウンセリングの効果はとても早くあらわれて、1週間で職場復帰できたほどでした。「でも、やっぱり目が疲れやすくて… 」とうったえる彼に、神経の疲れをとるという「森林浴」をおすすめしたのです。さっそく次の休日に郊外の山にでかけたK さんは、人気のない野原で、しばらくボケ一っと空や周りの林を見て過ごしたのだとか。そして、こんな感想をもらしました。
青い空をジーっと見ていたら、空に包み込まれるような不思議なやすらぎを感じました。自分がとても小さく感じられて… 。
無限の宇宙にくらべたら僕の命なんかほんの一瞬だ、と思ったら、素直なおおらかな気持ちになれて… … 宇宙にも自然にも、そして自分という存在にも感動を覚えました」心の底からリフレッシュしたK さんは、その後も休日に山歩きを楽しみ、極端な目の疲れとも、いつのまにか緑を切ることができたようです。
さて、どうしても遠くへ出かける時間がないという人には、わたしの実行している方法をお教えしましょう。「長年生きてきた大木には、とても強いエネルギーがある。太い幹に両手をあてると、そのパワーをもらうことができるよ」たしかに四季折々に見せてくれるさまざまな表情は、生命力そのものといった感があります。
また「木の精」にまつわる民話や童話がたくさんあるのも、それを証明しているように思えます。
わたしはさっそく近くの公園に行き、大好きなけやき並木の中から、好みに合った木を選びました。そして、疲れたとき、落ち込んだときに、その木を訪ねてエネルギーを分けてもらうことにしたのです。
太い幹に両手をあてて相を見あげ、木の温もりや鼓動(樹液の流れる音) を感じたり、心の中で語りかけたりします。また、帰るときには「ありがとうございました。また来ますね」とお別れの言葉をかけることも忘れません。
この木を訪ねたあとには清々しい気分がからだ中を駆けめぐつて、元気になれるから不思議です。あなたも、近所にお気に入りの木を一本、決めておいてはいかがですか?
そして、落ち込んだとき、憂うつな気分を吐き出せる相手がいないときは、そこを訪れて心の内を打ち明けてみましょう。誰にも言えない秘密を告白したっていいじゃありませんか。
文明社会の現代でも、科学や論理で解明できないことが多いのですもの。こんなファンタジーがあっても楽しいと思います。
また、木だけではなく、自分にとっての特別な場所を持っている人は幸せです。子どものころに持っていた〝秘密の隠れ家″ のような、自分だけの「心のオアシス」を身近な自然の中に見つけだして、ときどきそこへ出かけてみましょう。
時間と空間を越えた雄大な自然に包まれ、そのエネルギーを感じていると、心が安らいで、おだやかな表情を取り戻し、きっと元気になれるはずです。ときには子どものように、素直に、大まじめに、「自然というゆりかご」に心とからだをゆだねてみることです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません