自分を責めてしまうタイプ、相手を追い詰めてしまうタイプ

だれかを責めないと気がすまない

人間関係をスムーズに運ぶのがどうも苦手だ、と思っている人は、少しだけ自分のことをふり返ってみてください。

あなたは、他人に不愉快な態度をとられたことばかりを覚えていたりはしませんか?人とのつき合いがうまくいかない、どこに原因があるのかよくわからない、という人は、実は、他人が自分に対する態度には「敏感」に反応するけれど、自分が他人に対する態度には「鈍感」ということが多いのです。

自分は全然悪くないのに、こんなことを言われた、あんな態度をとられた、ということばかり気になって、実は自分も同じようなことをしていることには気づきません。

そんな人には、もしも人との関係がギクシャクしていると感じたら、人のせいにする前に自分に原因がないかどうか考えてみてください、とお話しします。でも、これとはまったく逆に、悪いのは常に自分だと感じ、自分を責めるほうが多い人もいるのです。

他人を責めてばかりいるのを「外罰的な人」、その反対に、自分を責めてばかりいるのを「内罰的な人」と呼びますが、どちらにしてもつらそうで、気の毒になります。責める、罰するというのは、他人や自分を「攻撃」すること。この他にも、腹を立てる、嫌う、呪う、恨むというマイナスの感情は、人間の血液を青黒く変化させると言われています。すると、血液中のリンパ球が減って身体の抵抗能力が落ち、病気にかかりやすくなるのだそうです。

攻撃心というのは、他人だけでなく、自分自身までも滅ぼしてしまう可能性があるわけです。人間の感情の不思議さを感じると同時に、少し怖くもなってしまいます。

先日も、つらい話をカウンセリング中に聞きました。40代前半の女性、Uさんの身の上に起こつた出来事です。そもそも、U さんにとっての結婚生活は、幸せとは思えないことの連続でした。夫は賭事が好きで、金銭にもルーズ。サラ金にも手を出して、経済的にたいへん苦しかった時期に、今度は女性関係もできてしまって、とうとう、ほとんど自宅には寄りっかない状態になったそうです。

すでに夫への愛情はさめてしまっていたのですが、一人息子はかわいくてしかたなかったといいます。そうこうするうちに、ご主人がポックリと亡くなり、「正直言ってホッとしたというか、なんだか晴々した気分になって」息子さんと2人の新生活をスタートしました。

その矢先、今度は最愛の息子さんがバイクで交通事故を起こし、重体になってしまいました。あまりのショックに、どうして自分にばかり悪いことが起こるのだろう、悪い霊でもついているのかと、ある霊能者の門をたたいたのだそうです。

すると「霊というよりも、あなた自身に黒い影が見える」と言われました。実は彼女は浮気をして帰ってこないご主人を恨んで「いっそ死んでしまえばいいのに」と思ったことがあったそうです。

ご主人の死因に直接関係はありませんが、少しうしろめたい気持ちもないではありません。後悔の念と恐ろしさから、精神状態も不安定になってしまいました。もちろん、科学的に証明はできませんが、もしかするとご主人を憎む・恨む・呪うというじさんの発した強烈な「外罰的」エネルギーが、めぐりめぐつて息子さんのところに返ってきたのかもしれません。

カウンセリングを受ける過程でそう気づいたとき、Uさんは息子さんに、そして亡きご主人に、心から詫びる気持ちになったそうです。また「内罰的」で人間関係をつくれない、

こんな人の例もあります。いつも職場で孤立してしまい、耐えられなくなって転職をくり返していたMさんは30歳のO L 。仕事はけっして嫌いではないし、能力がないわけでもなさそうです。

また、ソフトな話し方とひかえめな物腰は、好感を感じさせます。ところが、職場で友人と呼べる存在ができたことが一度もないというのです。人には気づかって接しているつもりなのにいつも周囲になじめず、ノイローゼ状態で会社を辞める、そんなことがずっと続いたというのです。でも、その原因はやはり彼女自身にありました。話しているうちにも、「どうせ、わたしなんか」「わたしはダメな人間なんです」「わたしが悪いんです」などと、自分を責める言葉が目立ちます。

仕事上の誰にでもある小さなミスでも消え入りそうに身を締めて謝罪する、会社全体の業績が落ちた月は自分の努力が足りなかったと気に病んで「申しわけない」を連発する、あげくのはてには心臓がしめつけられるように痛くなって、救急車で運ばれたことも一度や二度ではないといいます。

最初は、なんて謙虚な人と受け止めていた同僚たちも、他人のミスまで背負い込む彼女に、ありがたいという気持ちより、うっとうしさを感じたのかもしれません。自分に厳しいことは美徳のひとつだけれど、それも度を越すと周りの人までつらい気持ちにさせてしまいます。

M んにはそれに気づいてもらうことが、なにより必要でした。自分も他人も決して責めない、誰も罰しない… … そんな「無罰的」な生き方ができれば、ストレスもたまることは少ないのでしょう。

でも、そこは人間ですから、時には責めたり責められたり、そして許したり許されたり… お互いさまだね、と顔を見合わせながらやっていけるのがよいのでしょう。

 

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