人に好かれたい!が裏目にでてしまう

2024-10-25

No!を言えない、私はそうは思わない!を言えない

人に好かれたいと思うのは、人間の本能に近い感情です。誰だって、嫌われるより好かれるほうが心地よいに決まっています。

だから、無意識のうちに、相手に気に入られるような言動をしたり、決定的に嫌われないようにあいまいな態度をとったりすることがあるのでしょう。

けれども、それがあとからとんでもないトラブルを招くこともあります。相手のためによかれと思って親切のつもりでしたことが誤解され、かえって悪く言われてしまったり、気がついたらすっかり相手のペースに巻き込まれていて、イヤな思いをしたり、抜け出せなくなったり…

好かれたいと思っていただけなのに、あるいは仲間とうまくやっていきたかっただけなのに、結果的には周囲の人間関係を壊してしまって、どうすることもできなくなった… そんなことにならないためには、自分なりの判断基準、考え方を持つことが必要です。

社会生活を営む上では、個人の行動を規制する「ルール」がありますね。たとえば、車を運転するには、信号、標識、スピード、車線などを守る義務があります。

そして、違反してつかまれば、罰金をはらうというペナルティが用意されているわけです。でも、逆に言えば「ルール」はわたしたち個人の安全を保証してくれるものでもあります。もしも、ひとりひとりが「ルール」を無視して、好き勝手に車を走らせたら… どんな結果になるかはおわかりでしょう。

同じようなことが、個人の行動にもあてはまるのだと思います。社会の「ルール」を守るのは当然としても、生きていく上で「自分はどうありたいのか」「これだけは絶対にゆずれない」などという、自分なりの「ルール= 心がまえ」を持つことが大切なのです。

自分自身を見失わないために、自分なりの「生き方」「つき合い方」を、もう一度よく確認してみましょう。その基本は「人に迷惑をかけず、かつ決して自分を犠牲にしない」こと、これにつきるのではないでしょうか。

たとえば、あなたがすごくお人好しで、人に頼まれたら決してイヤとは言えない性格だとしたら…。あるいは気が弱くて断わり切れずにいつも損ばかりして、そのために自分に腹を立てたりすることをくり返していたら… 。一言「NO」と言えないために、帳尻をあわせるのに四苦八苦したり、周りの人を巻き込んで迷惑をかけていたりしたら… 。

そんなときにこそ「自分だけのルール」が必要です。無理をして、自分が損をしてまで引き受ける必要はサラサラないはず。「好意」と「安請け合い」は、まったく別のものです。

あなた自身の尺度で「ここまではOK。でも、それ以上は絶対にダメ」と明確な基準を決めておいてはどうでしょうか。

たとえば「○ 曜日と△曜日のアフター・ファイプは自分の趣味のための時間。よほどの緊急事態でないかぎりは残業はしない」「いつもずるずる最後までつきあわされる飲み会だけれど、二次会以降は割り切って早めに家に帰ることに決めた」「デートの費用はこちらが持つのがあたりまえのようになっているけれど、3回に1回は割り勘にしてもらおう」こんな具合に、ルールの内容はどんなことでもよいのです。

しいてポイントをあげれば、「絶対にこれだけは実行するぞ」という上のラインを意識したものより、「これだけはNO」という下のラインを意識したものの方が、実用度が高いということでしょう。

こうしてあらかじめ守備範囲を決めてあれば、不意をつかれてもあわてることはめったにありません。また、あなたが優柔不断で、なかなか物事を決められないタイプだとしたら、生活の中のどんなに小さなことでも「必ずイエスかノーかで答える」「必ずA かB かを選ぶ」練習をしてみましょう。

つまり「どちらでもいい」と思っても、必ず答えをひとつだけ出すようにするのです。「(いつもは奥さんに選んでもらうけれど) 今日のネクタイはこれに決めた」「コーヒーもおいしそうですが、できれば日本茶をいただけますか」こんな小さな決断と、それを口に出す小さな勇気の積み重ねが、大きな勇気と自信につながります。

また、いったん口に出してみると、自分が思っていたほど相手はこちらを気にしていないことに気づくでしょう。自分自身の「生活哲学」があるかないかで、これからの生き方がずいぶんと違ってきます。

人の思惑を気にしたり、他人を気遣いすぎる傾向のある人は、今日から「自分だけのルール」を持って、それを実行してみてください。
自分と関わりのある人に迎合する