すっぱり切り捨てることで新しい道が開ける

心の「荷物」が重量オーバーになっている人が多い

「大胆不敵(だいたんふてき)」ものごとを恐れずに敵を敵とも思わないこと、という意味のこの四文字熟語は、よくご存じでしょう?

わたしはときどき、この中の一文字である〝不″ を〝素〞に置き換え甲「大胆素敵(だいたんステキ)」とつぶやいてみます。

「ものごとを大胆に決断したり、割り切ったり、切り捨てたりすることは、とても大切でステキなこと」という意味で使っているのです。

いまのわたしたちの毎日をちょっとふり返ってみましょう。モノが豊かにあふれ、それほど必要でないもので狭い空間をいっぱいに満たし、たくさんのメディアから怒涛のように押し寄せる情報に翻弄され、長く続けるほどどんどん増えていく仕事の責任や重圧感、年齢を重ねるにつれて複雑にからみあう人間関係、レジャーだ、家族サービスだ、自分磨きだと追い立てられるように、ますます時間がなくなっていく日常生活 。

すべてが過剰で、心も体もゲップが出そうな状態にもかかわらず、生活の余分なぜい肉を落としきれずにいるばかりか、もっともっと詰め込もうとしている…

わたしには、そんな風に見えます。そんな中で心や体をむしばまれた方の共通点は、真面目な人ほど、こんなにたくさんの荷物を生活の中に抱えていることには気づかずに、または気づいていてもどうすることもできずに、すべてに責任を持って対処しようと頑張ってしまう、

いや、頑張りすぎてしまう…その結果が、心やからだに「病気」の形で表れるのでしょう。

なんらかの形で治療を受けている人から、日常生活にはさほど影響がないものの不調を訴えたり、自覚症状があったりする人、かるいは「自分は大丈夫」と思いながら知らないうちにからだに負担をかけている人がほとんどでしょう。

心身共にまったくの健康体だという人のほうが少ないのではないかと思われます。ことに、心因性が多いという消化器系の疾患や、高血圧の治療を受けている人には、管理職がダントツに多いのです。

サラリーマンのきびしい現実をまのあたりに見たように感じました。そんな現実に押しっぶされそうになったり、行き詰まったりしたときに、「大胆素敵」を思い出してほしいのです。

1人の人間が持っているエネルギーには限りがあるものです。余分なものは、大胆に、いさぎよく切り捨てることの上手な人が、豊かにいまを楽しむことができると思えるのです。

先日、ある50歳代の男性ビジネスマンの例です。最近、総務から営業に移ったのだそうですが、自分でも営業向きではないとわかっていて、どうあがいても仕事がうまくいかない。「いや、そんなことはない、努力すれば道は開ける」とあせればあせるほどうまくいかず、職場に行くのさえイヤになって、朝の通勤電車を降りる頃には冷汗びっしょりになってしまう、というのです。

どちらかというと分裂気質であまり協調性がないタイプのようですが、本当に真面目な方で、なんとか現状に対処しようと一生懸命な気持ちが伝わってきます。

その方のビジネス手帳を拝見して驚きました。やらなければならなかったのに実行できなかったこと、自分がとってしまったイヤな行動などが、毎日のようにびっしり書き込んであるのです。

そして、それを解決、解消できたら消していくことにしているというのです。これでは、毎日毎日、自分の許容範囲をはるかに越えた荷物の量を確認し、さらに増やし続けているのと同じことではありませんか?つぶれそうになり、逃げ出したくなってあたりまえです。

「イヤなことは、できるだけ早く忘れるようにしたら?」というもの。一生懸命やっても、どうにもならないことだってあるのです。いさぎよくあきらめることだって、ひとつの勇気、決断なんですから。

生きていくうえでは、この「いさぎよさ」も必要です。あきらめる、忘れる、気にしない 。イヤなこと、つらいことは、心の中で一刀両断のうちにスッパリとカット! しもしも、本当に必要なものなら、「とかげのシッポ」のようにまたいつか生えてくるサ、くらいに思って、大胆に切り捨ててしまいましょう。

思いきって切り捨ててしまうと、どうしてもなくてはならないものは、案外少ないことにも気がつくはずです。身軽になると、新しい道が見えてくることもあるでしょう。

もちろん、時には後悔や、ある程度の反省も必要だとは思います。でも、それにとらわれて自分を見失ってしまったり、からだまでこわしてしまうほどバカらしいことはありませんものね。