愉しみは心の実験でわかった

人のために想ったことは、自分に返ってくる

「お祈り」と聞くと、すぐに宗教的なものを思い浮かべる人が多いのですが、神様や仏様に幸せを請い願う「お祈り」だけでなく、心から何かを望んだり、希望したりすることも「お祈り」の一種です。

よく手紙の最後に「あなたのご健康をお祈りいたします」と書くことがありますね。気づいているいないにかかわらず、わたしたちは常日頃、たくさんのお祈りをしているように思います。

自分のために、家族のために、知人のために。その人のことを思い、心に浮かべる時間を持つことが、広い意味で「祈り」「愛する」ことなのだと思います。

わたしも毎日、実行しています。大切な家族たちを含め、大事な友人たち、そして気がかりなカウンセリングを受けにいらしている方のことなど、具体的に何人かの顔を思い浮かべて、その人のためにプラス方向で祈るのです。健康に今日一日を過ごせますように、仕事がうまくいきますように、赤ちゃんが無事に産まれますようにつらい心の状態からいっときもはやく立ち直れますように… 。

すると、不思議に事態がよい方向に好転するような気がします。

こんな実験をしてみたことがあります。小さなガラス瓶をふたつ用意し、煮沸消毒してからそれぞれにお米を少し入れ、水をヒタヒタに注いでふたをしめます。そして片方をプラス、もう片方をマイナスと決めて印をつけ、同じ条件のところに置いておきます。

プラスのお米には「あなた、おいしそうネ。大好きよ」、マイナスのお米には「まずそうネ、大嫌い! 」と、1日に2~3回ずつ瓶を手に持って声をかけ、強く心に念じます。

すると、驚いたことにプラスのお米はいつまでも白いままなのに、マイナスのお米はだんだん黒くなってしまったのです。化学的に分析したわけではありませんが、何度か同じ実験をしたところ、すべて同じように変化しました。

おもしろいとは思いませんか?もう発芽する可能性のないお米ですら、こんなに影響を受けるのです。まして、命も心もあるわたしたち人間が、影響されないわけがありません。また、吉本ばななさんのエッセイにも興味深い内容のものがありました。

彼女は植物を育てるのが苦手なタイプで、鉢植えなどもよく枯らしてしまうそうです。ところがある日、「また枯れさせちゃった」と後悔の念におそわれていた鉢植えに、小さな緑が芽吹いているのを発見したのです。

「よく生きててくれたね」と猛烈に感動し、嬉しくなって、その日から一生懸命、ミネラルウォーター(国産の軟水)をやり、心をこめて世話をしたところ、青々と葉を繁らせて、みごとに生き返ったのだそうです 。

すると、ますます愛おしくなって、毎日心をかけてやる。でも、しばらくたってもどうしても花が咲かないのだそうです。なんだかむしょうに悔しくなって、「咲かないのなら切っちゃうよ」と口走ったところ、数日後、待ち望んでいたつぼみがついたのだそうです。

植物にも想いは通じるんだ、けなげに応えてくれたんだなぁ、と感動した。 たしか、そんな内容でした。「植物に毎日、小さなお話をひとつずつしてあげると、元気に育つ」と言われます。命のあるものには、かけた想いや心は必ず通じるものなのでしょう。

さて、だいぶ寄り道をしましたが、誰かのためにお祈りするという習慣、時間を持つこと自体が、あなたの人生の宝物になると思います。

たとえば、1人暮らしの友だちがいたら、特に用事はなくても「このごろ、どうしている?」と声をかけたりするのも、広い意味で、ここで言うお祈りの一種になります。

職場で落ち込んでいる人がいたら、さりげなく「元気出せよ! 」「ドンマイ! 」と肩をたたくだけでもよいのです。

自分に心をかけてくれる人がいることに気づくだけで、その人は幸せな気持ちになってエネルギーが湧いてきます。そして、もしかすると沈みがちだった心がプラス方向に動き出すかもしれません。

でも、これだけはけっして忘れないで! 「こんなに○○ してあげたのに…」などと思ったり、見返りを求めたりしてはいけません。あなたが勝手にお祈りし、勝手に心をかけているのですから。

ただし、そんな気持ちで毎日を過ごしていると、結果的にあなたのまわりの人間関係がスムーズに行くことが多いというのも、また事実だということを最後につけ加えておきましょう。

幸せの芽が出やすい人、枯らしてしまう人

「出来る」「大丈夫」という信号を自分自身に送り続ける

枯れてしまった植物の鉢植え。もうダメだと思って諦めてそのままにしておいたのに、ある朝、気づいたら小さな緑が芽吹いていて、嬉しかったという経験をしたことがある人も多いでしょう。

ヨーロッパでは、植物を育てるのが上手な人のことを「緑の指を持っている」というおもしろい呼び方をします。幼い頃のお気に入りの童話にも『みどりのゆび』というのがあって、その主人公のチトという小さな男の子は、目には見えないところに隠れている植物の種を見つけて育てる名人。

親指が種に触れる上、五分もたたないうちに芽吹いて花が咲くのです。そんなわけで、悲しい気持ちをかかえた人に出会うたびに、チトはそっと親指をそこらじゆうに押し当てます。

たとえば、病院、貧民街、刑務所…。チトが帰ったあとには不思議なことに緑と花があふれ、人々は幸せを感じ、生きることが楽しくなるのです。最後には、お父さんの鉄砲工場にしのび込んで、鉄砲を使えないように植物でぐるぐる巻きにしたり、大砲から花束を打ち出させて戦争をやめさせてしまう、そんなストーリーでした。

少し前置きが長くなりましたが、人生の幸せや喜びは、この植物の種のようなもの。日常生活のふだんは気づかないようなところに「種」はひそんでいるのだと思います。

人に親切にされたとき、美しいものに出会ったとき、おいしいものを食べたとき、たいしたトラブルもなく仕事が一段落したとき、ゆったりとくつろぐ時間が持てたとき…

これらはみんな幸せの「種」です。それに気づいて「あ~ 、幸せだなぁ」と感じることができるのが、「緑の指」の持ち主だと言えるのでしょう。

なんでも食べられる、よく眠れる、どこも痛くない、生活に困らない、などということを、あたりまえだと思ってはいませんか?

毎日のように報道される恐ろしい事件や悲しい出来事を見聞きするたびに、そんなことに巻き込まれた方を心からお気の毒に思うと同時に、私は「平凡だけれど無事に過ごせた1日」をとても幸せに感じます。ほんの少しのことでも「喜んだり、幸せを感じたりするクセ」を心につけること、これが大切なのです。

「バカらしい、この忙しいのに、いちいちそんなに喜んでいられないよ! 」「そんなことで幸せと思えるほどおめでたくないよ」とお叱りを受けそうですが、でも、素直に信じて実行できる人が、より大きな喜びや幸せをつかまえることができるのです。

ある本を読んでいて、こんな素晴らしい言葉にめぐりあいました。「人は心1つで幸せになることができる。

心の中の幸せが外に伝わっていく。幸福を自分の外に求めるな。幸福は自分の中に見つけよう。光源は我が心の中に灯せ。心に太陽を持つ人は人生の音楽を楽しく奏でることができる」幸せを感じられる心の持ち主になることは、周りにも幸せの種をまき育てることになり、それが自分の人生をも豊かなものにするのです。

また、「喜びや幸せを感じるクセをつける」ことは、単なる精神論ではありません。大脳の一部には「視床下部」という小さな突起があって、心とからだのセンサーの役目を果たしています。ここで、わたしたちが瞬間的に感じるコワイ! マズイ! イタイ! ステキ! 、気持ちイイ! などの情報をキャッチして大脳に送るのです。

その情報を受けとって、それではどうしようか、と考えるのが大脳の役割。いつも不平不満、緊張感、不安感を抱いていると、頭の中にランダム波がおきて心の中がささくれだったようになるため、より一層ストレスを受けやすくなるのです。

ところが、幸せや感動、喜びを感じているときは、心がとても安定し、その結果として生理的にもよい影響が表れてきます。

マイナスの情報は視床下部でストップさせる、つまり、大脳へマイナスの信号を送らせないよう、「だいじょうぶ、うまくいく」と思うことです。そして、いつもプラスの情報を大脳に送り続けてやることは、心因性が多い消化器系や循環器系の疾患などにも、きっと効果があるはずです。

日常の喜びや小さな幸せに敏感になり、できるだけ見つけるようにしていると、苦しさや不快なことには動じなくなる、というおまけまでつくのです。

たとえば出勤途中の満員電車。イヤだ、イヤだと思いながら時間を過ごすのと、もしも車内で隣りにあなた好みのタイプの女性がいたら「今日はなんてツイている1日のスタートなんだ」と思うのとでは、その日1日が変わってくるから不思議です。

大脳は同じ刺激にとても弱いので、喜びや幸せをいつも感じるようにクセをつけると、潜在意識にインプットされて、それがだんだん性格をも変えていきます。

はじめは抵抗感があっても、ぜひチャレンジしてみてください。幸せ探しの名人になる「緑の指」を持つのか、それとも芽吹いたばかりの幸せのきざしに気づかないまま枯らしてしまう「灰色の指」の持ち主のままでいるのか? 選ぶのはあなた自身なのです。

笑顔はうれしいことが起こるきっかけになる

内面の良さが人生まで明るくする

内面(うちづら)と外面(そとづら)、あなたのよいのはどちらでしょう?「同じだよ」「そんなに差があるわけがないじゃない」「どちらも本当の自分だから」と言う人もいるでしょう。

確かに、この2つは同じ人格の両側面です。でも、これだけははっきりと言えるのが、「内面の悪い人は幸せになれない」ということなのです。

「内弁慶の外地蔵」をはじめとして、「内えんまの外えびす」「家泣きの外笑い」「外愛嬬の内そんぶり」「内はだかりの外すぽまり」「内はまぐりの外しじみ」「平和時のライオン戦時の鹿」など、内の人にはしょっばい顔で傍若無人にふるまっても、外ではにこにこと愛想がよくいくじがない人のことを笑うことわざは、たくさんあります。

また、「影弁慶」「楽屋弁慶」「炉端弁慶」「家の中の赤弁慶」「外ゆうれい」「二階猫」「うちの前のやせ犬」など、外面はよく内面が悪い人のことを指す言葉にもきりがなく、昔からよほど悪く思われてきたことがうかがわれます。

あなたは家に帰ると、仕事での疲れを理由に仏頂面でごろごろしていませんか?外でのストレスを家の人にぶつけて、居丈高にふるまってはいませんか?

そんなことを続けていると、気づいたときにはすでに遅く、1人ぼっちになってしまっていたという、こんなケースがあります。

T さんは中間管理職の40歳代です。内向的な性格でハデさはありませんが、会社では人一倍頑張って、上司からは頼りにされ、また部下にも評判のよい人です。

また、近所の人にも愛想がよく、「ハンサムでよいご主人ねぇ」とうらやましがられていました。

ところが、彼のもうひとつの顔がありました。 仕事でのストレスを弱い家族にぶつけてうっぶんを晴らす、という姿には、家族の他は誰も気づいていなかったのです。

朝はやさしい夫であり父親なのですが、仕事がうまくいかなかったときには会社の帰りに駅前の飲み屋に立ち寄り、必ず酔っぱらって帰ってくる。そのときが、家族にとっては最悪の日となります。

中学生の娘と小学生の息子は、帰宅した父が「また荒れているな! 」と感じると、いちはやく二階の部屋に逃げ込んで、どんなに怒鳴られても決して出てきません。

すると、今度はほこ先は妻のほうに向きます。「どいつもこいつもオレをバカにしやがって! 早く酒を出せ! 」なだめる妻に、ときには暴力さえふるうのです。

そうなってから、もう十年。妻と子どもは、とうとう近くの実家に帰りっばなしになって、現在は離婚調停中です。

どう頑張ってもいまさら家族の心は取り戻せそうにありません。でも、残りの人生をこのまま過ごすのはいやだ、心から自分を変えたいと思うようになり、専門のカウンセリングを受けるようになりました。

反対に、こんな例もあります。30歳代の子どもがいない夫婦。共働きで2人だけで生活しているため、気をつけていないとお互いのわがままが前面に出てしまいます。

口には出さないものの、いつでも別れられるという気持ちがあるためか、疲れと時間的なすれちがいを理由に、何日も会話さえない日が続くことがあったのだそうです。

これではいけないと、たったひとつだけ作ったルールが「玄関を入るときは、笑顔で元気よく声をかける」こと。どんなに疲れていても、明るく大きな声で「ただいまぁ」と叫んで部屋に入るのです。そのくらいのエネルギーも残っていないなんてことは、まずないでしょう。

夫がしょぼくれた声で帰ってきたとき、「はい、やり直し! 」と言って、もう.一度玄関を入るところからやり直してもらうこともあるのだとか。バカらしく聞こえるかもしれませんが、これだけでけっこう家庭の雰囲気が明るくなるのだそうです。

なにも内面をよくしようと身構えなくても、こんな小さなきっかけから内面磨きがスタートできるという、よいお手本のような気がしました。

内面磨きの第一歩は、まず笑顔になることから。どんな場合でも、できるだけ笑顔を作ることを習慣にしていると、笑顔が脳を刺激してからだに指令を送り、元気になってくるものです。

明るい歌をうたう、楽しいドラマを見る、鮮やかな色彩の絵を眺める、楽しいことを思い浮かべる、などにも同じような刺激と効果があります。すると、その明るさや楽しい雰囲気が、いつのまにか習い性となって身につき、自然に外側にもにじみ出るようになります。

たいていの人は、明るいもの、明るい場所、明るい人のほうが好きなものです。明るい人には人が集まりやすいものですから、あなたのまわりはますます賑やかに楽しいものになるでしょう。

笑いにはセロトニンを増やす効果抜群

すっぱり切り捨てることで新しい道が開ける

心の「荷物」が重量オーバーになっている人が多い

「大胆不敵(だいたんふてき)」ものごとを恐れずに敵を敵とも思わないこと、という意味のこの四文字熟語は、よくご存じでしょう?

わたしはときどき、この中の一文字である〝不″ を〝素〞に置き換え甲「大胆素敵(だいたんステキ)」とつぶやいてみます。

「ものごとを大胆に決断したり、割り切ったり、切り捨てたりすることは、とても大切でステキなこと」という意味で使っているのです。

いまのわたしたちの毎日をちょっとふり返ってみましょう。モノが豊かにあふれ、それほど必要でないもので狭い空間をいっぱいに満たし、たくさんのメディアから怒涛のように押し寄せる情報に翻弄され、長く続けるほどどんどん増えていく仕事の責任や重圧感、年齢を重ねるにつれて複雑にからみあう人間関係、レジャーだ、家族サービスだ、自分磨きだと追い立てられるように、ますます時間がなくなっていく日常生活 。

すべてが過剰で、心も体もゲップが出そうな状態にもかかわらず、生活の余分なぜい肉を落としきれずにいるばかりか、もっともっと詰め込もうとしている…

わたしには、そんな風に見えます。そんな中で心や体をむしばまれた方の共通点は、真面目な人ほど、こんなにたくさんの荷物を生活の中に抱えていることには気づかずに、または気づいていてもどうすることもできずに、すべてに責任を持って対処しようと頑張ってしまう、

いや、頑張りすぎてしまう…その結果が、心やからだに「病気」の形で表れるのでしょう。

なんらかの形で治療を受けている人から、日常生活にはさほど影響がないものの不調を訴えたり、自覚症状があったりする人、かるいは「自分は大丈夫」と思いながら知らないうちにからだに負担をかけている人がほとんどでしょう。

心身共にまったくの健康体だという人のほうが少ないのではないかと思われます。ことに、心因性が多いという消化器系の疾患や、高血圧の治療を受けている人には、管理職がダントツに多いのです。

サラリーマンのきびしい現実をまのあたりに見たように感じました。そんな現実に押しっぶされそうになったり、行き詰まったりしたときに、「大胆素敵」を思い出してほしいのです。

1人の人間が持っているエネルギーには限りがあるものです。余分なものは、大胆に、いさぎよく切り捨てることの上手な人が、豊かにいまを楽しむことができると思えるのです。

先日、ある50歳代の男性ビジネスマンの例です。最近、総務から営業に移ったのだそうですが、自分でも営業向きではないとわかっていて、どうあがいても仕事がうまくいかない。「いや、そんなことはない、努力すれば道は開ける」とあせればあせるほどうまくいかず、職場に行くのさえイヤになって、朝の通勤電車を降りる頃には冷汗びっしょりになってしまう、というのです。

どちらかというと分裂気質であまり協調性がないタイプのようですが、本当に真面目な方で、なんとか現状に対処しようと一生懸命な気持ちが伝わってきます。

その方のビジネス手帳を拝見して驚きました。やらなければならなかったのに実行できなかったこと、自分がとってしまったイヤな行動などが、毎日のようにびっしり書き込んであるのです。

そして、それを解決、解消できたら消していくことにしているというのです。これでは、毎日毎日、自分の許容範囲をはるかに越えた荷物の量を確認し、さらに増やし続けているのと同じことではありませんか?つぶれそうになり、逃げ出したくなってあたりまえです。

「イヤなことは、できるだけ早く忘れるようにしたら?」というもの。一生懸命やっても、どうにもならないことだってあるのです。いさぎよくあきらめることだって、ひとつの勇気、決断なんですから。

生きていくうえでは、この「いさぎよさ」も必要です。あきらめる、忘れる、気にしない 。イヤなこと、つらいことは、心の中で一刀両断のうちにスッパリとカット! しもしも、本当に必要なものなら、「とかげのシッポ」のようにまたいつか生えてくるサ、くらいに思って、大胆に切り捨ててしまいましょう。

思いきって切り捨ててしまうと、どうしてもなくてはならないものは、案外少ないことにも気がつくはずです。身軽になると、新しい道が見えてくることもあるでしょう。

もちろん、時には後悔や、ある程度の反省も必要だとは思います。でも、それにとらわれて自分を見失ってしまったり、からだまでこわしてしまうほどバカらしいことはありませんものね。

 

たまには自分を褒める

落ち込みから立ち直るために

あなたは自分を褒めたことがありますか?もしかしたら「オレはどうして、こうダメなんだろう」「どうせ私なんか」などと、いつもけなしたり、腹を立てたりはしていませんか?

人間には、ほめられてヤル気になる人と、けなされて「ナニクソ! 」と発奮するタイプとがあると言われます。

でも、ほとんどの人は褒められてがんばる人が多いものです。たとえは少し悪いようですが、「豚もおだてりや木に登る」と言うではありませんか。だとしたら…。

人間は感情の動物と言いますが、その日の気分で、同じことでも受けとめ方が大きく変わるものです。

いつも安定した精神状態で、どんな問題にも冷静に対応できるのは、よほど人間ができている人。でも、ふつうは気分に左右されることが多いでしょう。仕事も毎日同じペースでスムーズに行くとはかぎりません。

失敗したり、人間関係がうまくいかなかったり、目標が達成できなかったり、いろいろなことが原因でガクンと業績が落ち込むことも、たくさんあると思います。

そんなとき、反省したり、しよげ返ってばかりいても、事態は好転しません。少しでも早く立ち直るには、そう、自分をほめてやればよいのです。

誰だって、長所のない人はありません。自分のよいところ、好きなところを見つけ出してみてください。能力、性格など、数え上げてみると、かなりたくさんあることに気づくはず。

ほら、ルックスだって、自分なりに密かに自信のあるところがあるでしょう?そんなところを思いきって盛大にほめてください。人目にはどうあろうと、自分の尺度で認め、ほめることが大切です。

いくら自分を賞賛しても、誰にも迷惑をかけるわけではありません。ある大手企業の中間管理職(平均40歳) の研修の中で、この方法を実施しました。

約15分間、思いつくままに自分へのほめ言葉を書き出してもらったところ、次のような言葉が出てきました。仕事面の能力については、判断力・決断力・先見力・洞察力がある、専門的な知識が豊富で集中力や持続性にすぐれている、責任感が強い、部下の面倒見がよい、数字に強い、字がきれい…など、数えきれないほどです。

性格面では、まじめ、冷静、積極的、明るいなど。またルックスについては、足が長い、ハンサム、年齢よりも若く見える、上品、女性にもてる、髪の毛がフサフサしているなど、ほほえましく感じるものも、たくさんありました。

思いきって自分をほめる、という見方をすると、いままでまったく気づかなかった自分の新しい面を見つけることができるものです。

それは楽しいだけでなく、新たな「自信」につながります。また、この「自分をほめる」という方法は、「うつ」に落ち込みやすい性格の人にも効果があります。わけもなく、突然落ち込んだときなどには、気持ちを明るくするのに役立つのです。

人間関係が原因で仕事をやめ、すっかり自信喪失してうつ状態に陥っていた男性(28歳)にも、自分をほめることを試みてもらいました。

最初は「何もないです… 」とつぶやく彼に、「でも、自尊心があるから、劣等感も生まれたんだ」と気づいてもらい、「あなたをバッと見ただけでも、目が輝いている、歯がきれい、清潔感がある…と、どんどん並べることができるわよ」と言いました。

そして、最低20個は自分へのほめ言葉をノートに書き出してきてもらうことにしたのです。

すると、「折り目正しい、ツメがきれい、おひとよし…」など、けっこう書き並べてきて、それをわたしが彼の前で読み上げると、最初は恥ずかしそうでしたが、だんだん顔つきが変わってきました。このようなことがきっかけとなって、自信を取り戻すことができ、人生への意欲も湧いてきたのです。

わたしは「自分をほめる」ことを、自分に「心の栄養分=プラスのストローク」を与えることだけ考えています。自分を成長させ、向上させるためには、心に栄養を与え続けることがとても大切。

自分にとってのプラスを常にチャージし続けることを習慣にすると、不思議なくらい自信が湧いてきます。

そして、もうひとつ、よいことをしたときは、十分に自分をねぎらうことです。たとえば、お得意先から大口の注文がとれた、目標やノルマを達成した、人に感謝された、人にやさしくできたときなど、「やっぱりオレには能力がある」「今月もよくがんばったなあ」「やればできるじゃないか」などと、自分に声をかけてあげます。

さらに、ときには自分を「愛しい」と感じてみましょう。それはとても大切なことなのです。自分を愛せない人は、人を愛することもできないのですから。「自分」はこの世界でかけがえのないたった一人の存在なんだ、と認めることができたとき、人生はもっと楽しく意味のあるものになるのです。

さぁ、今日から自分を最大限にほめてあげてください。くだらないと思えても、恥ずかしがらずに、ぜひ、実行してみてください。知らず知らず、ものの見方が変わっていることに気づくでしょう。

他人に悩みを聞いてもらうと悩みの「本質」がみえてくる

解決のきっかけはこんなとき

周囲にはたくさんの人がいるのに、なぜか1人ぼっちのような気がする、そんなときがある場合もあると思います。

わたしはこんなに悩んでいてつらいのに、誰も気づいてくれない…そんな風に思うことがあるのなら、思いきって気心の知れた身近な人に、いまの気持ちを話してみることです。

でも、たとえば職場なら、そこはプロの世界。言いわけや甘えは一切許されません。次から次へとさまざまな要望や指示、いろいろな問題が押し寄せてきます。

誰かに何かを相談したいと思っても、周りはライバルだらけで、上司や部下はいつも忙しい 。

そんなときはひと呼吸おいて、あらためて自分の周囲を見回してみましょう。いつもは近くにいなくても、きっと身近に感じられる誰かがいるはずです。

人間というのは、こちらが身構えると相手も身構えてしまうもの。まずあなたが肩の力を抜いて話しかけてみれば、相手も心を開いてくれるものです。

「そんな人に話したって、なんの解決にもならないよ」。もしかすると、あなたはこんな風に考えるかもしれません。

そうです。あなたが相談を持ちかける人は、いま、あなたが抱えている問題や悩みを直接、解決できないかもしれません。あくまでも「自分の問題は、自分で解決する」しかないことも事実です。

だったら、「なぜ、そんなことをする必要があるの?ただの気休めでしかないじゃないか」ですって〜ところが、そうではありません。身近な人に思いや悩みを打ち明け、聴いてもらっているうちに、それがあなたの「心を映す鏡」となるのです。

わたしたちは、自分の顔を自分の目で見ることはできません。鏡に映して、はじめて自分自身を見ることができるのです。それと同じように、自分の心も、自分だけではなかなか本当の姿を見ることはできないものなのです。

しかも、真の姿を把握しないまま、ひとりで悩み続ける人が、なんてたくさんいることでしょう。こんなとき、一生懸命に耳を傾けてくれる人との対話の中から、あなたの考え方や悩みの正体を、自分だけで思い悩んでいたときとは違う角度から「気づく」ようになるのです。

すると、ポンッと解決の糸口が見つかることがありますから、不思議ではありませんか。

相談を持ちかけたみなさんは、わたしとの対話の中から気づき、「もうひとつの見方」を発見し、そして自分自身の手で問題に立ち向かう力を取り戻していくように思われます。

たとえば、29歳の専業主婦の方が、そのよい例です。いわゆる「外に出たい」症候群。幼い男の子が2人いるため、能力があるのに仕事に就けない、夫は協力してくれない、

反対を押し切って結婚したため親には協力を頼めない… こんなジレンマとイライラがつのって、夫との仲もうまくいかなくなり、離婚寸前の状況でした。

でも、たった2時間、初対面のわたしに洗いざらい心の中を吐き出すうちに、ハタと「でも、子育てがたいへんなのはあと2~3年。それがガマンできないなんて、ただのワガママ」と気づいたのです。

自分で解決の糸口をつかむと、うそのようにきっぱりと気持ちを切り替えて、数年後を楽しみに子育てに専念、いまは家庭もうまくいっているそうです。

相談する相手は、必ずしもプロのカウンセラーでなくてもかまいません。あなたの気持ちを冷静にゆっくりと聴いてくれる人ならよいのです。そんな人が身近に発見できたら、なんて心強いことでしょう。

だいじょうぶ、きっと見つかります。そんな相手に恵まれたら、どんどん自分をさらけ出しましょう。

まず、悪いところをさらけ出してみることも、自分と向き合うひとつの方法です。その上で、こういうのもわたしなんだと認めてやり、とりつくろわないようにする。そうするとクヨクヨする気持ちもなくなって、強くなれます。

「それでも自分が好き」と思えるようになれたら、もっとずっとラクになれます。ちなみに、わたしの場合、オッチョコチョイ、臆病、方向音痴、整理整頓が下手、記憶力がこの頃落ちた、わがまま、金銭感覚がない… なんだかキリがありません。

でも、きっと同じ数だけ、いいところもあるに違いないと自分では思っているのです。最後に蛇足かもしれませんが、あなたの心をさらけ出し、話を聴いてもらってアドバイスや手助けをしてもらった相手には、感謝の気持ちを有形無形にかかわらず、十分に伝えるようにしましょう。

何か願いごとをするときは、神様にだって「お賽銭」をあげるではありませんか。まして、相手は生きている人間です。人の悩みに真剣に耳を傾けるのは、たいへんなエネルギーが必要なものです。また、その人の貴重な時間をさいてもらったのですから、絶対に欠かすことのできないエチケットだと思います。

いいかげん=良いかげん

必死になればなるほどうまくいかなくなるのは?

物事はまじめにやればやるほどうまくいかないことがあります。こんなに真剣に向き合って真正面からぶつかっているのになぜか?はぐらかされているようにうまくいかないことがありますね。

「あなたって、いいかげんな人だね」と言われて落ち込んだことはありませんか?または「あの人はなんていいかげんな人なのだろう」と腹立たしく思うことはありませんか?

この場合の「いいかげん」とは「無責任」という意味で、たいていは良い意味に使われません。しかし、この言葉にはもうひとつ「よい程あい」という意味もあるのです。つまり「いいかげん」は「良いかげん」なのだとも言えるのですね。

囲碁に親しんでいる方はよくご存じでしょうが、囲碁ではこの「いいかげん」の精神がとても大事だとされています。

囲碁では、自分と相手が交互に白と黒の石をひとつずつ置いていき、各々の石で囲った地盤、陣地の広さで勝負が決まります。

このとき相手を「攻める」目的で置いた石が、同時に自分を「守る」ことにもなるのが囲碁のおもしろさなのだそうです。

つまり、欲張って自分の陣地を広げようとし、相手を攻めすぎると、同時に自分の弱いところを作ることになります。だから、攻めも守りもほどほどにして、陣地を確保できる「いいかげ」 のところに石を置き、最終的に広い地盤を確保するのがよい勝ち方なのだそうです。

これは、わたしたちの人生にもあてはまるのではないでしょうか。悩んで苦しむ方は、多くが「完壁性」で「他人が自分をどう評価するか」をもっとも気にすることです。

そんなタイプの人が、負担がかかりすぎてやがて心身にひずみが生じやすいのは、まぎれもない事実です。

仕事の上ではノルマを達成するのはあたりまえなのでしょうが、それをいつも実行できる能力のある人は、いったい全体の何%くらいるでしょうか。一生懸命やって、どうしても目標が達成できなかったとしても、自分なりにべストを尽くしたのだったら、それなりの充実感や満足感は得られたはず。次の機会にまた、頑張ればよいのです。

いつまでも「できなかった」というマイナスの気持ちを引きずっていても、ますます事態は悪い方向に転がっていくだけで、なんの利益もありません。どんなことでも「完全無欠」なんて、ありえないことなんですから。すべてが思うように運ばないのが現実です。「こんなはずではなかった」「もっとできるはずだ」とこり固まった頭で考えていてもうまくいくはずがありません。

むしろ、肩の力を抜いていたときのほうが、いい結果が出たりするのです。また一見、矛盾することのように思えますが、気力や体力は、頑張りよりもむしろリラックスから生まれることをご存じでしょうか?

ものごとをパーフェクトにこなさなければ気がすまない、人並みはずれて几帳面だ、または人よりも緊張しやすいという人に贈りたいのは「努力逆転」という言葉。これは「一生懸命になればなるほど失敗してしまう」という意味なのですが、つまり、いつも肩に力を入れていては、なにをやっても本来の力を発揮できない。そればかりか、思ってもいないマイナス方向へものごとが進行してしまいやすいということです。

欲張りすぎて完壁を目指すと、どこかに無理が生じるものです。その無理を重ねていけば、結局人生が台無しになってしまいかねません。そしてもうひとつ、リラックスが「人間の魅力」を引き出すための大きな力になっていることをご存じですか?

周囲を見まわすと、同じ年齢なのに「若々しくてキラキラ輝いている人」と、その反対に「なんとなく精彩がなく、老けて見える人」がいるでしょう。

ルックスのよしあしは関係ありません。内面からの輝きとしか言いようがありません。では、なぜそんなに差があるのかとわたしなりに観察してみたところ、若々しくはつらつとした人たちには共通の特性があることがわかりました。それは、「フレキシブルな考え方ができて好奇心が強い」こと、「みずみずしい感受性と行動力がある」こと、「自分の目標を持ち、そのための努力をおしまない」こと、「前向きで積極的な考え方ができる」こと、などです。

そして、これらの最後にぜひつけ加えたいのは、「頑張りすぎない」ことと「緊張が少ない」こと。つまり、リラックスしてのびのびと生きている、ということなのです。ここまで読んで「よおし、キラキラと輝く人になるゾ、そのためにはリラックスだな」と意気込んだ人はいませんか?

ほら、もう肩に力が入ってしまっています。大きく息を吐いて、力を抜いてみましょう。さぁ、ここで最初の言葉を思い出してください。

『いいかげん=良いかげん』70% くらいの力でリラックスして生きることが、「好い加減」の人生につながります。

人生に起きる良いことや悪いこと、成功や失敗のバランスは、最終的にはどこかでつじつまがあうものです。「けっこう幸せだな」と思える人が、本当はいちばん幸せなのかもしれません。

生き方を決めているのは「習慣」

「心のクセ」が幸せにもなり不幸にもなる

「この性格は生まれつきだからしかたがない」とつぶやいたことがありませんか?.たしかに人間には、生まれたときからすでに持っていると言われる「気質」があって、それはたとえば、.躁うつ質、粘着質、分裂質というように大別されることもあります。

でも、そのほかに育っていくうちに後天的につくられるものがあり、それは「環境性格・学習性格」と呼ばれています。これは木の年輪のように、年齢を重ねるとともにだんだんできていくものです。

たとえば、一卵性双生児であっても、違う環境で育ったり教育を受けたりすると、まったく性格や人格が異なってきます。また、人間はその仕事にあった条件や雰囲気を自然に身につけていくものです。

これは「役割性格」と言われます。たとえば営業マンなら営業マンらしく、先生は先生らしくなっていくことは、あなたもよくご存じでしょう。

つまり人間の性格は、後天的なものに大きく左右されるのです。いろいろな説がありますが、なんと「90% 以上は後からつくられた性格」とも言われます。

これは言いかえれば「性格は変えられる」ということです。生まれつき持っている「気質」を変えるのはむずかしくても、育っていくうちにつくられた性格、仕事で身についた性格は、比較的変えやすいものなのです。

もしもあなたが、いまの自分を好きになれなかったり、変わりたいと望んでいるのなら、これを活用しない手はありません。整形外科の手術を受けるように一度に劇的に変わることは無理でも、お菓子職人がパームクーヘンの薄い層を一枚ずつていねいに焼きつけていくように、毎日ほんの少しずつ好ましい雰囲気や生活習慣を身につけていけば、徐々に自分を変えていけるのです。

それには、よい「心のクセ」をつけることがとても大切!「習慣は第二の天性」と言うではありませんか。

よい「心のクセ」で毎日を過ごすことを習慣にすると、いつの間にか深くしみこんで、生まれつきの性格のようになっていきます。毎日を不満や不安を感じやすい心で過ごすのと、見過ごしやすい小さな幸福感や自信を見っけながら過ごすのとでは、人生に大きな差が生まれます。

反対に、あまりよくない「心のクセ」を持っていることに気づかないままでいると、それが少しずつマイナスの方向に向かい、ついには一生を棒にふることにもなりかねませんから自分の心の中をのぞいたり、生活習慣をふり返ってチェックしてみることも必要です。

ある女性の例を紹介しましょう。そこそこ恵まれた環境に育ち、恋人もいる素敵な女性なのですが、本人はなんとなく仕事も毎日の生活もおもしろくない。自分自身でも何が不満なのかわからないため、イライラはつのる一方で、だんだん人に会うのもおっくうになってしまいました。

そんな状態を脱したくいと考えていました。もともと素直な性格の方でしたので、自分にとってプラスの言葉をくり返し声に出し、なりたい自分のイメージを心の中に描いてもらうことで、カウンセリングを終わる頃には生き生きとした明るい表情になって帰って行きます。

また、その方法を家でも毎日、実行してもらうようにしました。ところが、次に会うと、また無気力な表情に逆戻りしているのです。そんなことのくり返しが続きました。

彼女は、毎日きちんと教わったことは実践していて、そのときはとても晴々とした気持ちになるけれど、一晩寝るとダメなんです、と言うのです。よく話を聞いてみると、彼女には毎晩、寝る前に1日をふり返って反省する、という習慣がありました。1日を反省し、二度とあやまちをくり返さないようにするなんて、一見、すばらしい習慣のようです。

でも、彼女の場合はそれが深く後悔するクセとなって、知らないうちに「私はなんてダメな人間なんだ」とマイナス・イメージを心に毎日インプットしていたわけなのです(この(悪) 習慣に気づき、すぐにやめてもらったところ、彼女の様子がガラッと変わったことは言うまでもありません。

プラス・イメージをインプットする、よい習慣だけを毎日実行してもらうことで、自信を取り戻すわたしのとても好きな言葉のひとつ詣できたのですね。

「希望、昼に努力、夜に感謝」セいうのがあります。

同じ1日を過ごすのならば、目覚めたときにはその日に出会えそうな素晴らしい出来事を予感して気分よく活動をはじめ、日中はその予感を実現させようと頑張ってみる。

そして、眠るときには、その日出会った楽しかったこと、驚いたこと、ワクワクしたこと、少し自信が持てたことなどを思い浮かべながら、1日を無事に過ごせたことに感謝する習慣を持ったほうが、ずっと素敵です。

そんなよい「心のクセ」のつけ方をいくつか細介したいと思います。これらの「心のクセ」に共通しているのは、どんなときにもできるだけものごとをプラス方向に考えてみようということ。もしも気に入った「心のクセ」に出会えたら、そんな心で毎日を送ることを習慣にしてみてください。きっと人生が、もっと楽しく過ごしやすいものになりますよ。